城つながり

 「日本遺跡学会会報」第8号が少し前に届いていた。納富敏雄「佐賀城本丸歴史館−復元建物と博物館−」という記事を、高槻城がらみで読んだ。以下、部分引用。

幕末・維新期の本丸御殿の復元建物であるため、イベントや講演会等を行うホールなどがなく、展示空間の中での開催となっているため、展示を見学に来られた方には違和感を持たれる方も多い。その上、博物館施設とは言いながら、建物が幕末期の木造復元構造であることから、実物資料の展示が出来ず、展示物はすべてレプリカであり、県民の方々に貴重な実物資料を公開する機会はほとんどない。また県民協働の推進という目的で、佐賀城本丸歴史館とは全く関係ないイベントが展開されることも少なくなく、今後の運営を一歩誤れば、単なる無料で使えるイベントホール代わりになる恐れもある。

 納富さんの文章もたいへん抑制の効いたものだが、いろいろご苦労されているのだろう。
木造復元構造のため、実物展示ができないというのは、何か他に方策はなかったのだろうかと思うが、概して、博物館の表(展示室)と裏(収蔵庫)のギャップに驚くことは多い。保存と公開のバランスの問題だろうが、先日の郄木さんの論文(開館時間や開館日が増えれば、資料が光を浴びる絶対量が増える)と照らし合わせ、“目で見る楽しみ”に思いを馳せる。

 ところで、高槻城復元のアイデアは、もともとはじゅんさんのアイデアであった。ただし、じゅんさんのは、中に博物館をつくるのではなくて、石垣だけ(張りぼてか?)築いて、中は立体駐車場、天守閣はギャラリー等として市民が使える多目的スペースにするというアイデアである。これによって、阪急高槻市駅以南の駐車場不足を解消し、まちの活性化を図ろうというもの。古株市議がこのアイデアをパクって、中に博物館をなどと言ったのである。城の復元=博物館という発想から自由になることも時には必要なのだろう。