日々の雑感

 慌しい毎日。金曜日、授業3コマ。ボランティア論の初回授業は、恒例の京都YMCAのメンバー4名(いずれも在学生)が、活動紹介をしてくれた。代々、先輩から受け継がれ、「単位を取るだけの目的で来た」新入生に向かって、「僕もはじめは胡散臭いと思って聞いていたんや」とか話してくれた。パワポの技術もとても上手。来週は、これまた恒例の高槻Jazz Streetのメンバーと、新たに立ち上がる「茨木音楽祭」の首謀者(うちの卒業生)が来てくれることになっている。ネクラな私がなぜこんな授業を担当しているのか謎だが、YMCAの学生たちに言わせると、私が何もしないのがいいらしい。
 金曜の夜は、自治会の「執行役員会」(←自治会にまで、こんな物々しい名前の会合があるのがびっくり)。公民館のトイレットペーパーの補充がどうのこうのとか・・・。しかし、新会長はいい意味での“女傑”と言っていい人で、おもわず、おっ、学部長!と思ってしまった。キャラは全く違うのだが。2時間以上かかってしまった。帰宅後、慌てて簿記の勉強を始めるも、すぐに眠くなって沈没。
 土曜、博物館実習、初回授業(をする)。実習先の学内での割り振りを決定、その他、スケジュール調整をして、山のような(1年分の)宿題、課題を出す。朝、T先生とざっと相談して、見学実習先も内々で決める。
 授業終了後、タクシーを呼んで駅へ出て、簿記の学校へ行く。お昼ごはん抜きで、夕方まで授業(を受ける)。工業簿記の基礎講座はこれが最終回。午前中抜けた分は、あとで他校舎へ行く予定。引き続きの「総まとめ講座」のぶ厚いテキスト2冊を貰い、来週までの課題を言い渡される。こんなのやり切れないよ!と思うボリューム。基礎の宿題もたくさんやり残している。博物館実習の学生たちも、こんなのやり切れないよ!と思っていることだろう。
 買い物して帰って、犬の散歩に行って、ご飯を食べて、公民館(類似施設)へ。さっそく掃除当番が当たっている。夜8時から、4月定例会。これが何と、夜の11時過ぎまでかかってしまった。何というのか、寺中作雄の『公民館の建設』を地でいくような世界阪神淡路大震災以降、何となく世の中の流れも変わったのか、私自身も変わらざるを得ないのか・・・。少し(20年くらい?)前までは、「地縁、血縁より、関心縁」との元気なキャッチフレーズがあったが・・・・。会長さんは、「災害があったときに、自治会に入っていないからって、毛布をあげないとかできませんやろ」と言われる。それで、空き家や更地やら、自治会未加入世帯の確認とか。市と自治会の関係とか、個人的に不思議なことは多々ある。それはともかく、民主的にやろうと意見を聴取すればするほど、ややこしい議題はまとまらない。終わったのは夜の11時すぎで、早くも職場の諸々の会議と似たり寄ったりになった。公民館の修繕費とかも、自治会で積み立てているし、田園地帯のなごりか、全戸参加のドブさらいなんかもある。それが、簿記の公開模試の日に、ドブさらいの予備日が、検定試験の本番とバッティングしていることが判明した。
 これも、むか〜し(10年くらい前)、JECOMS(日本エコミュージアム研究会)の見学会が、「平野・町ぐるみ博物館」であった折、和尚さんが、「みなさんは、自分とこの地域で何かやったはるんですか」と言われた。これはこの和尚さんの口癖だが、言われた人は、みなズキッとするだろう。様々な失敗、挫折を経て、私などは、完全なヒッキーになっている。
 で、リアル公民館、リアル自治会に接してみると、大学の「社会教育」の授業やら、学会やらで、学んだり議論したりしてきたことって、一体何なんだろう・・・と考え込んでしまう。土曜の夜も、0時を過ぎてから簿記の宿題を始めるが、すぐに沈没。
 そして、今日、日曜日。商業簿記の基礎講座の最終回。3級の時からお世話になった商簿の先生とは、おそらく「卒業」になるのだろう。授業アンケートに、「たいへん勉強になりました」と書いておいた。もちろん、簿記そのものよりも、授業技術や講師としての立ち居振る舞いのことを指しているのだが、それは内緒。