神奈川県立横須賀大津高等学校校史展/観音崎灯台資料館

takibata2006-09-17

 朝からお天気もよく、観音崎へ直行したい気持ちを抑えて横須賀市文化会館へ。もし美術館がなかったら、美術館機能を補完する施設として文化会館やはまゆう会館は、どの程度使えるのか、が気になっていた。はまゆう会館は、先日訪問し、JR衣笠駅からすぐで立地条件はすぐれているが、天井の低さや展示室内に柱があるなど、やはり美術館展示室の代替としてはお粗末、の印象は免れなかった。
 では、文化会館はどうだろう、ということで、深田台にある横須賀市文化会館を訪問した。市立自然・人文博物館に隣接する高台にある。今日は、たまたま3階の市民ギャラリー2室をつないで、神奈川県立横須賀大津高等学校校史展・美術展「100年の記憶と歩み」が開催されていた。とりあえず、展示室を物理的に見るのが目的なので、展示内容とは無関係に入らせて貰うのだが、今日の展示は、ちょっと気合が違っていた。
 まず、美術展。現職の先生の作品も含めて、幅広い美術・工芸・手芸作品が展示されている。土地柄、鎌倉彫の作品も多く、もともと名門女学校らしく、卒業生たちの余裕のある生活ぶりが伺える。ギャラリーの作りも、天井が低いので大きな作品の展示は無理だが、部屋の感じは落ち着いていて、鑑賞の妨げになるほどの雑多な感じはしない。横浜のそごう美術館と比べることができるのではないか。
思わず見入ったのが、坂倉昌子さん(昭和30年卒)の写真。「半世紀前の米が浜商店街 七夕祭りより ぶんぶく茶釜の綱渡り」。ぶんぶく茶釜が片手にかさ、片手に扇子をもち、高いところで綱渡りをしている。体には茶釜様の衣装をつけ、尻尾にも箒の先のようなものがつけてある。狸は本当にこんな芸当ができるのか? なにやら、すごいものを見てしまった。 
この先の展示室は、校史の部屋である。入ってすぐ、ずらりと歴代の制服が並んでいる(のちにこれは復元したものと知る)。大正期の着物からもんぺを含め、実物大で並ぶと壮観で、スカートの丈測り(スカートマーカー)まで展示されているのがほほえましい。
 壁面には、GHQの指令などが額に入って並べられている。このあたりで、見ている自分が居ずまいを正す感じになってくる。台の上には、戦中の入試問題と、答案。「自分の町や村から出征して居られる兵隊さんへ差し上げる慰問文を綴りなさい」という出題に対する鉛筆書きの答案が束ねてある。よく、こんなものが、捨てられずに取ってあったものだ。
 「服装届簿」(大正2年)。何らかの理由で、制服を着てこれなかった生徒が、その理由を書いて届け出たもの。「制服を洗まして着てまゐりません」「雨にぬれまして着てまゐりません」「髪を洗ひましたから下げて参りました」など。今と違って、カワックもドライヤーもないから、無理だよね(でもいつの時代にもこういう家庭ってあるんだよね、と嬉しくなる)。「家庭訪問規程」(大正13年)や「夏期鍛錬日記」(昭和13年ほか)、「震災の記」や、「大楠山登山手記(奉祝帳)」(大正8年)、そして明治43年からの教科書など。
 教材・教具類。大正末期から家事作法の先生が作った魚の標本。海が近いのに、魚の名前がわからない生徒が多いため、魚屋から売り物にならない魚を貰ってきて、液浸標本を作ったとのこと。放課後、有志対象に行われた講習用の英文タイプライター。極めつけは、ハンドル式の黒板拭掃除器。よくぞ、ここまで取っていたものである。
 すっかり感動してしまって、ぜひ写真が撮りたくなり、展示室に詰めていた方に声をかけると、いいですいよ、とのことで、そこから少しお話を伺う。創立90周年記念事業の一環として資料室の準備を始め、空き教室(もとは裁縫系の部屋で、電源が多くとってあったとのこと)を「校史資料室」として常時展示しているとのこと。その過程で、卒業生からも多くの資料が寄贈されたという。これだけの資料がきちんと保存され、資料室として公開されていることにおおいに驚く。今回の文化会館の展示も端正な資料の並べ方で、歴史系の博物館の展示と比べて遜色なく、内容も教育資料として非常に興味深かった。男子校の横須賀高校に並ぶ、女子名門校だったそうだ(現在は共学)。なお、出品目録には、展示平面図が入っており、東神工芸株式会社の名前が入っていた。
 
 昼食後は、横須賀市立中央図書館へ。市民アンケートの報告書をひたすらコピー。調査の中で、一番つらい作業。コピーをしながら、さまざまな自問自答に耐えねばならない。

 2時ごろに作業を切り上げ、ようやく観音崎へ。図書館を出ると、小雨が降り始めている。京急馬堀海岸駅からバスで約10分、バスダイヤは1時間に3〜4本。美術館の建設現場(やはり急に緑がえぐられた感は否めない。今は土はだがむき出しなので。芝が生えれば、だいぶ印象は変わるだろう)を通りすぎ、終点観音崎下車。風が強く、塩っぽいべたつく雨が横から吹きつける。台風の影響か、海も荒れている。そのまま観音崎灯台を目指し、遊歩道を歩き出す。観音崎灯台。らせん階段を上っていくと周りの壁に全国各地の灯台の写真が飾ってある。階上からは絶景だが、雨が吹きつける。
 小さな灯台資料展示室。外観と違い、中の展示は新しくしゃれている。東京湾の海図(世界測地系WGS-84)の横には、「浦賀水道海中散歩」のハンズオン展示。くるくる回すと、中のドラムが回って、浦賀水道の断面図が現れるというもの。面白くて2回転くらい回す。
 映像は2箇所にあり、一つは「観音崎灯台と明治初期の灯台」。幕末から明治初期の写真を見ると、観音崎は今よりも禿山の感じで、木が茂っていない。もうひとつの映像は、「観音崎灯台のしくみ・夜の東京湾光の道しるべ・浦賀水道を行き交う船」の3本立て。床坐りして、ボタンを順に押していく。かつての灯台の光を見せるしくみ。分銅を巻き上げ、分銅が落下する時の動力を利用する、という機械のハンズオン。くるくると回してみる。
 小部屋3つ程度のささやかな展示だが、まさかこんなところに、と思うほど洗練されている。受け付けの女性と話をするうち、灯台の中の写真は、本になって販売しているものとのこと。社団法人灯光会『あなたが選んだ日本の灯台50選』(1999)を購入すると、おまけで、『のぼれる灯台14基』という小冊子をくれる。ここの灯台資料展示室は、昨年3月リニューアルしたそうで、日本財団の助成を受けている。展示をつくった業者さんの名前を尋ねると、東京の業者さん、というので、某社の名前を上げてみるとそうらしい(が確証はない)。道理で最新の技術のはずである。たくさんの人が触るので、分銅の巻き上げがよく動かなくなるそうで、1年間は無料で修理に来てくれたけど、とのお話。あれ、さっき私がやったら動きましたよ。
 満ち足りた気持ちで、彼女が教えてくれた小径を降りて、観音崎自然博物館まで出る。腰越のバス停で乗車。一つ先の鴨居まで行くと、もっと頻繁にバスがあるそうだ。浦賀駅まで約10分だった。

写真は観音崎灯台から見た絶景。