再び、朝永さん

 朝永振一郎量子力学と私』(岩波文庫、1997年)を読み終わった。「滞独日記(抄)」のなまなましさもさることながら、「量子力学と私」や「物理学界四半世紀の素描」などの中の朝永さんの若い頃の回想録に、心引かれた。
 朝永さんと湯川さんが旧制大学の三年生の時、量子力学を志すが、講座もなく、専門の先生もいない、講義も教科書もなく、原論文をすぐにアタックしなければならない状態だったという。数学も固有値問題をはじめから一人で勉強しなければならなかったとのこと。三年生が卒論を書く前の輪講会(雑誌会)で、読んだ論文の報告をする際、湯川さんはクラインの論文を、朝永さんはハイゼルベルクの論文を紹介したこと。財団組織の理化学研究所が、ハイゼルベルクとディラックを招き、その講演会を東京で独占せず、日本中の大学を招待したこと。
 1925年に物理学の新しい展開が始まったとき、日本では、大学教授層はとっつけなかったが、若い人たちは強烈な関心を持ったという。量子力学を専門に研究する教授は、東京でもゼロに等しく、東京の若い人たち輪講会を始めたそうだ。もともと東大の輪講会では、長岡半太郎先生が学生をシゴいていたという。「壇上に学生が立って論文の紹介をする。そうすると、いつもその一番前のところに長岡先生が座って、そのうしろに他の教授連がずらりと座って、さらにそのうしろに学生・卒業生が座っていたということです。それで、長岡先生がいちばん前にいて、学生がわかったつもりで変なことをいうと、すぐつっ込まれる」。で、「そのうちに長岡先生があまりでてこられなくなって、そしたら輪講会の活気がなくなって、つまらなくなってきた、そこで、長岡先生ほどではないにしても、お互いもっと遠慮のない討論のできるような、そういう会を作ろうじゃないか」と言う声が出て、会場も理研に移して、若い人たちだけの輪講会が始まったそうだ。
 巻末の江沢洋氏による解説が、また優れている。量子力学では、日本も、物理学の大先輩であった欧米と同じスタートラインに立った。「物理にかぎらず『分からない』が勉強の原動力だ、それと粘りづよく気長につきあうことが勉強の本来の姿だ」と江沢さんは記す。朝永さんの欧文論文数/年の図、「くりこみ理論へのステップ」「『量子力学と私』年譜」も興味深く、この表と解説が付くことで、本書は非常に読みやすいものになっている。江沢さんはよい仕事をされていると思う。

 朝永さんが取り持ってくれたご縁か、『これからホームページをつくる研究者のために』の著者、岡本真さんが、私の感想にコメントをつけて下さった(10月9日分)。http://d.hatena.ne.jp/arg_book/20061009/1160409451
さらに驚いたことに、九州の田中孝男先生が、ご自身のブログでこのブログを紹介して下さった(10月22日分)。http://legalport.blog.ocn.ne.jp/jititaihoumu/ ネットの中の先輩たちに励まされることの多い、今日この頃(少し恥ずかしいが)。