佐藤郁哉さんの「暴走族から現代演劇へ」

takibata2007-02-04

 昨日は、一日、共同研究の本文書きに苦しんだ。行き詰ってふと手に取ったのが、好井裕明・桜井厚編『フィールドワークの経験』(せりか書房、2000年)。去年やはり方法論で行き詰ったときに買ったのだが、大部な本で読めないままお蔵入りしていたもの。
 ふと手に取って、最初に出てくる、ゴッフマンの「フィールドワークについて」と、サトルズの「フィールドワークの手引き」、それに、佐藤さんの「暴走族から現代演劇へ」を読み、特に佐藤さんのは面白かった。

 矯正施設という組織の中で直接自分の目や耳で見聞きした人々の行動や発言、あるいは特定のエピソードや「事件」は「科学的」で「客観的」な形で記録するためにはどのようにしたらいいのだろうか? また、どのようにしたらその記録の集積をシステマティックに分析することができるのだろうか?(p.52)

 ジャズバンドを対象としたフィールドワークの結果の一部を当時所属していたある心理学系の学会雑誌に投稿した際に不採択となり、その審査の過程について抗議した時には、編集委員長をされていた方から次のような一節を含むご返答をいただいた――「・・・科学論文としての体裁、つまり問題、方法、結果、考察といった体裁をとっていなければなりません」。・・・・(p.57)

 このほか、面白い記述がたくさんあるが、私も、同じような編集長からのお手紙を何度受け取ったことか。

 じっさい、『暴走族のエスノグラフィー』の時にインフォーマントからもらった内容に関するコメントと言えば、唯一「結局、親とか教師に読ませる本やろ」というものがあるだけだった。また、結婚直前に妻に同書を進呈した時、彼女は写真の載っているページをパラパラとめくって見てからいざ本文を読み始めたと思ったら数ページで表紙をとじてしまった。彼女いわく、「だって、なんか難しいんだもん」。(p.58)

 これもあるあるある・・・娘に、読んで、といって原稿渡しても、1分と立たないうちにつき返されるので。

 写真はキューガーデンの植え込み。日本で想像していたのは、こういう花壇(それはごく一部だった)。せめて気分は明るく。2006年8月12日撮影。