河回仮面博物館(ハフェタルパンムルガン)/河回村(ハフェマウル)

takibata2007-03-22

 地下鉄で清涼里駅へ。途中でガイドブック付録マップの駅番号がずれていることに気づき、一瞬あせる。清涼里駅は124番である。
 国鉄清涼里駅は、都会的なソウル駅とはうって変わって、いかにも、地方へ向かう始発駅の風情。改札が開くのを待って、みな、駅のベンチでTVを見ている。売店で豚まんを買う。4個3,000Wで、しょうゆだれと、タクアン3切れに割り箸がつく。
 発車15分ほど前に6番改札ゲートが開く。検札もなく、そのままおじいさん、おばあさんたちについて、6番線に向かう。ゲートとホームは駅の電光掲示板に表示されている。車内は、ほぼ満席。窓側の席だったが、隣に、同年代の女性が乗り込む。
 ソウル市内は高層のアパート群が続く。やがて農村・山林地帯に入る。ぽつぽつと、廃屋が目につく。やがて、豚まん効果と風邪薬のせいか、猛烈に眠くなり、隣席のおばさんともども、うとうとし始める。眠くてたまらない。それでも、がんばって窓の外を見るが、松の緑以外は枯れ色ばかりである。山はほとんどが松林だ。
 2時間ほど過ぎたあたりで、突然、隣のおばさんが話しかけてくる。でも、何も分からなくて、おばさんの顔を見つめるばかり。唯一分かって言えた言葉は、アンドンだけだった。おばさんは諦めて、前の席のおばさんに話しかけ始めた。おそらく、遅いとか遠いとかといった類の話だったのだろう。とても申し訳ない気持ちになる。
 アンドン駅前の観光案内所に寄ると、日本語堪能な若い女性が、とても親切に、日本語版市内マップや観光案内、バス時刻表などをくれる。仮面博物館はバス停がないから、先に運転手さんに、「パンムルグウァン」(博物館)と言って降ろしてもらうといいと教えてもらう。
 ホテルにチェックインを済ませ、豚まんの残りを食べて、出発。バス停は駅前通りの、駅の向かい西側。46番バスが停まっていた。14:05発、1650W先払い。40分ほどで到着。
 河回仮面博物館には、河回村に伝わる、仮面劇のお面や、国内外の仮面、獅子(たぶん)などの着ぐるみが展示されている。お面だけでなく、劇の様子を伝えるパネルもいっしょに展示されている。仮面の素材は非常に素朴で、毛糸や紙、麻ひも、毛皮など、様々な素材が使われている。アルミ缶の底をくりぬいて目にしたものもあって笑えた。
 英語の詳しいガイドブックやユーモラスなお面の絵はがきがあり、喜んで購入。
 15分ほど歩いて、河回村へ。エリザベス女王訪問記念館を見ていると、ボランティア・スタッフが声をかけてきて、事務所へ連れて行ってくれた。ここでも、日本語の案内パンフや、番号入りマップ(ハングル版しかない)をもらう。この番号が、村内のあちこちについていて、自分の現在位置が分かるようになっている。彼女は、まだ私、言葉下手だからと言いながら、熱心に日本語で村の概要を話してくれる。
 河回村は、そういう言葉は使っていないが、まさに現地保存型の博物館で、しかも、中に実際に人が住み続けているのである。日本語パンフによると、以下の通り。

河回村現況
沿革:豊山柳氏が600余年間暮らしてきた同姓村
1984.1.10 重要民俗資料に指定
 特徴:韓国の儒教、民俗村を代表する村
 人口:121世帯229名
 家屋:458棟(瓦葺162、藁葺211、その他85)
 文化財:19点(国宝2、宝物4、史蹟1、重要無形1、重要民俗10、天然記念物1)

 村のはずれに、驚いたことに、瓦屋根のキリスト教会を見つけた。高い塔の上には、十字架と拡声器。集落の中は、人の住んでいない家屋は、自由に庭まで入って、建物を存分に見ることができる。楽しくて、あちこちのぞいて回る。団体客は、決まった道しか歩かないので、メインのコースを避ければ、ほとんど住民以外には出会わない静かな環境である。永慕閣は、柳成龍の遺物展示館になっていて、パネルを見ていくと、この柳成龍という人は、壬辰倭乱の際の領義政(国務大臣)だったらしい。
 村の一角の奥まった路地の先に、欅の大木があり、縄が張られてたくさんの白い紙が結びつけられている。ここは、河回仮面劇が最初に行われた場所だと書かれている。隅のほうに、願いごとを書く紙とペンが置かれていたので、願をかけることにした。
 バスは手ごろな時間のものがなく、夕方7時発の最終便で帰ることにして、天幕張りの店に入る。この地方の名物、ホッチェッサパプを注文するがないといわれ、カルグッス、と言われる。さっぱり分からないので、困った顔をしていると、表のメニューの看板のところへ連れていかれる。それでも、ハングルと値段だけではさっぱり分からず、うんうんという顔をして、カルグッスなるものの登場を待つと、現れたものは、うどんとラーメンのあいのこのようなものだった。まずいわけではないが。4,000W。
 夕暮れ、洛東江沿いの桜並木を歩く。桜はまだだが、咲けば見事だろう。団体さんたちが、みな、この道を帰る理由が分かった。振り返ると、村の様子が、中を歩くのとはまた一味違う景色になって現れるからである。村内は、コブシ、梅が咲き始め、マグノリアもつぼみが膨らんでいる。あと1週間したら、とてもきれいなのではないだろうか。
 大満足で、振り返り振り返りしながら歩く。6時30分、突然、大きなお祈りの声が、拡声器から響き渡る。〜ハムニダ。〜ハムニダ。と、お祈りの言葉が終わるところを見ると、ハムニダ=アーメン、なのだろうか。
 不思議なことがいっぱいいっぱいあった。両班や学者を皮肉る筋書きの農村の仮面劇と、村の偉人である柳先生への尊敬、そしてキリスト教。あれだけハムニダが村中に響き渡るところを聞くと、村中がクリスチャンなのだろうか・・・。そんなことは、もちろん、観光パンフのどこにも書かれていない。あのボランティアさんの連絡先を聞いておくのだった。彼女なら、日本語で、返事をくれそうだったのに。
 駅前に戻り、安そうな店で今度はトルソでないほうのピピンパフを注文する。3,000W。
 写真は、河回村のキリスト教会(2007年3月22日撮影)。