陶山書院/安東民俗博物館・安東民俗村

takibata2007-03-23

 安東民俗村行きのバスに乗るべく、8時前にホテルを出る。コンビニで1,000Wでキンパフ(海苔巻き)を買う。バス停にアンドンダム行きの3番バスが停まっているので、ベンチに腰掛けて8時35分の発車時刻を待つ。運転手さんはおらず、ドアも閉まったままだが、車体に3の字があるので安心して待っていたところ、時間になっても誰も現れない。ふと、不安になって昨日貰った市内地図を開くと、隣のバス停(Kyobo Building)前に丸印がついている。慌ててそちらへ走るが、3番バスはない。もとの場所へ戻ってみると、不思議なことに3番バスが消えていたのであった!
 愕然としたが、Kyobo Building前に、67番バス(陶山書院行き)が停まっていたので、もらったバスダイヤとは違うが、乗り込んで運転手さんに、ドウサンソウォン?と聞いてみると、何か、これは違うみたいに言われる。
 そうこうするうちに、9時になったので、駅前の観光案内所へ行く。昨日の親切なお姉さんがいて、昨日のお礼を述べたあと、今日の一連の出来事を訴える。もらった時刻表と、バス停の時刻が違う部分も見つけたのだ。お姉さんは、いっしょに行きましょう、と言って、バス停までついてきてくれる。バス停の周りには、たくさんの市内バスが発着するので、決まった位置に停まるわけでもないらしい。67番にはいろいろな方面へ行くバスがあり、陶山書院へ行くのは、やはり時刻表にある4本だけとのこと。次は9:40分までない。ついでに明日の列車の時刻を尋ねると、今度は、駅の窓口までついてきてくれた。明日は土曜日だから早く予約しておいたほうがいいとのことで、切符を購入。
 お姉さんにお礼を言って、Kyobo Building前で、67番バスが来るのを待つ。先に、陶山書院へ行くことにした。
 今度は時刻通りバスがやってきて、乗り込む。向かいの席のおばあさんに話しかけられるが、分からなくてキョトンとしていると、イルボン(日本人)?と聞かれ、バスの中で、後ろの女性たちも、“はい、もしもし”などと言って笑う。別に、馬鹿にしているという感じでもなく、みな笑っている。単純になごまれてしまったという感じか。
 バスは、山間の道を走っていく。お天気がよく、小川の流れが護岸のない自然堤防で、見ているだけで心がなごむ。田んぼの様子などは、日本ととても似ている。一瞬、安東湖が見え、美しい。やがてバスは、陶山書院に着く。さっきの笑っていた女性たちは、ここの事務所の職員さんたちのようで、券売所を教えてくれる。
 松林と、川(湖)に囲まれてプロムナードが続く。途中から見え出した「試士壇」に驚く。ここは、王命による特別科挙「陶山別科」を行った場所で、川の中州(向こう側は陸続きに見えたが)に小山が築いてある。予想以上に高い小山である。
 書院は、現在の私立学校のようなところ。李滉という人は「韓国最高の儒学者」とパンフに書かれており、彼が儒学生たちを教育した場所に、彼の没後、弟子たちが書院を建立したという。現在の1,000W札の裏面の絵柄がこの陶山書院なのである。
 この陶山書院は大変美しく、一目で気に入った。門を入ったところから見上げた眺めがすばらしい。朝早く、私以外には一組の夫婦がいるだけで、いたって静か。梅の花も咲き始めている。玉振閣の中は、パネルの作り方などたいへん現代的な展示手法の資料館になっていて驚いた。
 バス停まで走って戻って、山から下りてきたバスを手を振って止める。11:10分のバスを逃すと次は12:40分までないのだ(行きは1日4便、帰りは5便しかない)。途中の村の様子を眺めるのが楽しい。家はみな軒が低く、商店街と思われるところも今はシャッターが下りている店が多い。バスに乗ってくるのも老人が多い。巨大な肥料の袋のようなものを2袋も積み込んだ老夫婦もあった。
 アンドン駅前に戻ると、次は、晴れて3番バスに乗る。このバスも終点は安東ダムなので、先に運転手さんに行き先を「パンムルグァン」(博物館)と告げておく(これも観光案内所のお姉さんに教えてもらった)。
 安東民俗博物館も、想像以上に立派な博物館だった。建物が、ではなく、展示が、である。入って驚いたのは、ほぼ等身大の人形を使ったジオラマ展示の数々である。ここで私は、これまでの認識を改めなければならなかった。おととしの夏、ニューヨークのアメリカ自然史博物館の東洋展示を見て、非白人に対する蔑視だと憤っていた。なにせ、ライオンや熊と同様の大型展示ケースに、日本の侍や韓国の儒者のほぼ等身大のつくりものが並べられていたからである。われわれは展示ケースの中で見世物にされる動物か!と怒ったものである。・・・しかし、韓国に来て、自らが自分たちの民俗文化を示すのに、ニューヨーク自然史博物館の展示ケースそっくりの展示ケースに、自らの似姿を並べるとは・・・。
 しかもこの展示は大変よく出来ていて、見ていて楽しい。日本では、等身大人形の展示が少ないのはなぜだろう。すぐに思い出せるものといったら、横須賀市自然・人文博物館の原始時代のジオラマ家族像くらいのものである。
 この安東民俗博物館のガラスケースのジオラマは、移築された古民家の軒下の壁を透明ガラス張りにしたような構造になっているものもあり、家の中での出産の様子などが人形を用いて再現されている。安東の人たちの出産から死亡して埋葬されるまでの一生が、生産や教育、婚礼や様々な儀式の様子とともに紹介されており、最後は、お祭りや遊びの紹介がある。映像資料も用い、たいへん分かりやすく見ていて楽しいものになっている。日本語の解説もあるのだが、字が小さくて薄いので、少し遠くにあると、私には読めないのが残念だ。ただ、この地方独特の「口」の字型の家の造りなどは、解説を読むとなるほどと思う。寒さを防ぐため、閉鎖的な造りになっているそうだ。
 隣接する安東民俗村は、現在は入場料も取らず、もっぱらKBSの時代劇撮影所として宣伝されているらしい。子どもづれやカップルがちらほらと散策している。
 ここは、ダム建設で水底に沈むことになった村の民家や窯跡などを対岸のこの場所に移築保存したものである。先ほど博物館で見てきた家の構造を、今度は実地に中まで入って見学できる仕組みになっている。オンドルの火のたきつけ口、門の脇の藁葺のとんがり帽子屋根の厠の中、「口」の字の家の内部など、瓦葺の屋敷から小屋程度のものまでが移築・再建されている。
 坂道の上に食堂が何件かある。ロンプラのお勧めに従って、イェッコウルという店(ハングルの看板しかどの店も出ていないのだが、電話番号が書いてあるので、それを照合した)でカンコドゥンオ(塩サバの直火焼き)を注文。本当に鯖一匹分が開きになって出てきた。たいへんおいしかった。8,000W。
 坂の右手は工事中になっているが、強引に上っていくと、上のほうは土砂崩れが起きたあとのようで、案内看板などがなぎ倒されている。でも、ここからの眺めは抜群で、安東湖や移築民家群を見下ろすことができ、訪れる人もなくたいへん静かである。
 坂の途中、右手に遊歩道のようなものが続いているので、ハイキングがてら、その道を進んでいくと、立派な“一”字型客舎が建っていた。これは1712年に改修され、1976年に現在地に移築されたという。その先をさらに進んでいくと、一見古墳のような石氷庫があった。洛東江に多い鯖を保存し、国王に献上するためのもので18世紀半ばに築造されたものらしい。
 ハイキングを終えてバス停のほうへ向かうと、町からバスがやってきた。私の前で停まって乗っていけ、という。乗せてもらうと、坂道を急スピードで登り、あっという間に安東ダムへ。歩きではきつい坂で、諦めていたのが、思わずタダでダムを拝むことができた。ダムでは誰も乗らず、お客は私一人だったが、途中下り坂でバスを止めた中年夫婦が乗り込んできた。片道1,000W。5時前だったので、観光案内所に寄って、お姉さんにお礼を言って帰る。
 写真は安東民俗博物館の展示。結婚式の1コマ(2007年3月23日撮影)