年度の終わりに

 昨晩、後輩Xさんの就職祝いで飲んだ。辞令を貰うまではまだ本当とは思えないという気持ちは、とてもよく分かる。だからXさんとしておく。
 1年前には、一足早く、後輩Oさんの就職祝いを3人でした。これでやっと、私たち3人がめでたく専任になれたのである。苦節ウン年?だった。西は加古川、北は敦賀、東は近江八幡、南は私は奈良で済んだけれども、とにかく3人で、関西圏の大学・専門学校の非常勤をものすごい数こなしてきたのである。Xさんと私は、それだけでは食べていけないから、塾や予備校でも働いた。休暇中は、夏期講習、冬期講習、春期講習で、論文を書く余裕など、どこにもなかった。1日に90分×6コマ=9時間ぶっとおし、マイクなしで授業なんてこともあった。就職が決まったとき、専任の先生に、3コマぶっ通しはしんどいですよ、とかアドバイスされて、きょとんとしたのが7年前。
 昨晩、梅田の改札口でXさんと別れたところまでは、覚えている。次に気がついたら烏丸だった。慌てて、桂止まりの電車に乗り換えた。
 二日酔いだったが、今日は吹田市立博物館に行く用事があった。久しぶりにFさんのお話を伺った。小山修三館長が着任されてから、吹田市立博物館は激変したようだ。昨年のニュータウン展では22,000人が来場したとのこと。また吹田市でも、市議会(特に委員会)では博物館のことが頻繁に取り上げられるとのこと。Fさんのお話の端々から、私がはじめてFさんのお話を伺った頃(たぶん6年半くらい前)から、いかに博物館を取り巻く状況(やFさんの認識)が変わったかをひしひしと感じた。
http://www.doblog.com/weblog/myblog/60028千里ニュータウン展をした吹田市立博物館を万博展でも小山修三館長と盛り上げるブログ)
学芸員さんたちのご苦労も大変なものと伺っている。
ところで、吹田市立博物館の常設展示に、等身大の人物展示があった。窯から古代人が壺を取り出すシーンを復元している。何度か見ていたのだが、窯に気をとられ、人物の方は記憶になかった。考古学の展示では、等身大人物が比較的よく用いられているのだろうか。
午後は出勤して、明日が締め切りの「2006年度個人研究費成果報告書」「2007年度個人研究費研究計画書」なるものを完成させて提出してきた。成果報告の方は、コピー貼り付けですぐにできるのだが、次の1年の計画を出せ、という方は、計画性のない私としては、非常に苦痛だった。まず、これは、「果たして誰かが読むのだろうか?」という素朴な疑問が沸いてくる。でも、よく考えると、すでに約束をしてしまった原稿とか、締め切りをずるずる延ばしている仕事があって、それを書いて、ああ、そういえば論文書き直さなきゃいけなかったんだと思い出し、「研究の課題・内容・方法・意義」を書きなさいと書いてあるので、「1.現在投稿中の論文の改定 (方法)査読者の意見を入れて改定、及び反論する。(意義)美術館の建設を、公共施設建設の資金調達、及び美術館の適正配置の観点から問い直すこと」と書いておいた。