芦屋シンポ(7)

 パネルディスカッションの続きを。自分でよく理解できなかったところは省略させていただく。

辻本 富本憲吉記念館の(館長をしている。)富本氏に17〜18年間、かわいがっていただいた。人間性を感じ、記念館は(富本氏から)家を譲ってもらい、33年間、個人でやっている。(美術館の運営は)個人でできるものだなと思っている。
 芦屋は風光明媚のいいところで、(かつては)図書館だけがあった。その当時の市長に、資材置き場になっていたので、美術館にしたらどう?と言った。(その関係で)財団理事を長いことしていた。
 美術博物館は内容で、中身がいい展示でないと。市民が欲するものを展示する。何でこういうものが残ったのか。先人が作り出した文化をもう一度・・・私たちが見て、残していかないと。文化は大切だ。
 文化とは何か。国が滅びることを「文化果つる国」と言った。人間が向上するために作り出された物心両面の成果を言う。その人の功績をたたえるために文化勲章がある。成果を残すために美術館、博物館がある。
 芦屋には、随分の人たちがええもん残している。心を通うような経営、ここを守っていただくことが大切。


橋爪 (大阪市の)立近代美術館の開設準備室を18年やっている。建たない美術館の学芸員で、(芦屋と)同じような運命か。芦屋の年表を見て、市政50周年記念で開館とあるが、大阪市はまだ建っていない。大阪市はオリンピックの件とか・・・建たないんじゃないか。
 2005年に美術史学会で、委員をやっていた関係で、(美術館存続の)要望書を学会の代表(複数)で持っていって、記者会見に出た。地元の記者は、文化芸術には無縁の方、ローカルな方で、芦屋の美術館にとって「具体」とはどういった絵かを、学会の代表がまじめに答えていて、どうしたものかと思っていた。(橋爪さんのお話はこのあとも続く)

私は、このパネルディスカッションを聞いていて、この橋爪節也さんの言葉が、胸に刺さった。“学会の代表がまじめに答えていて”という部分だ。橋爪さんの胸のうちは、この短い発言の中で知る由もないが、やっぱりこれは、“まじめに”答えなきゃいけない問題でしょ、と思う。
昨日書いた、行政・法律の話も同じだが、専門家vs.非専門家の間のコミュニケーションや情報共有が大切で、私自身は、ずっとそのことが気になって仕方ない。専門家は、知識や技術を独占することで、専門家としての地位を維持してきたのだが。