この頃思うこと

 6月2日のブログに、“ショックなこと”に気づいたと書いた。今の状態で説明するのは難しいが、書かないのもそれはそれでバランスが悪いので、少し書いておきたい。

 昨年の9月に、「横須賀美術館建設反対運動の主張と波及効果」という学会発表(口頭)をした。その後、年末年始に原稿をまとめて、とある学会誌に投稿した。査読結果を踏まえた書き直しを経て、少し前に、受理されたという連絡を編集委員会からいただいた。
 その間に、横須賀市議選があり、また、横須賀美術館も開館した。

 調査でお世話になった方々に、原稿をチェックしていただいているのだが、その中のお一人、Jさんが、ご自身でいろいろと想いを深めておられた時期と、たまたま拙稿を読んで下さった時期が重なったのだろう、「民意が市政に生かされる事を願う会」から「卒業」されることを決心された。そのHPの記事を私が読んだのが、6月2日の朝だった。
 そして今日、市議のフジノさんのHPで、「民意が市政に生かされる事を願う会」の「解散」が決まったことを知った。

 学会誌が公刊される前に、拙稿がHPに部分掲載されるのはまずいので、Jさんにお願いして掲載部分は削除していただいたが、「学会発表」「学会誌」「論文」「査読」などという複雑なシステムを、うまく説明しきれなかった。それと同時に、一体、誰のために何のために論文なるものを書いているのか、自分自身で考え込んでしまったのである。(この2007年現在で考えれば、学会誌に公表されたものは、オンライン化される方向へ向かうのが望ましいだろう。そうすれば、紙媒体ではまず届かない読者にも、読んで貰えるチャンスは増える。)

 ショックだったのは、自分が調査をし、論文(かどうかは異論があろうが)を書き、それを読んでいただいたことで、現実が変化する、一つのきっかけを作ってしまったらしいことだ。それは、もしかしたら、研究者(これにも異論があろうが)冥利に尽きることかもしれないが、私自身は、現実の重さや尊さにたじろぐ。いや、現実を動かしうるようなものを書かなければ、意味がないのかもしれないが。

 Jさんや、フジノさんは、美術館建設見直し派だった。一方、美術館開設準備室で奮闘されたH先生も、見直し派に近い視点で書いた拙稿を、にこやかな笑顔を受け取って下さった。H先生のお人柄にも、深く頭が下がるのだった。