山形県立博物館教育資料館

takibata2007-06-21

 朝から山形県立博物館教育資料館へ行く。開館時間前についてしまったが、早めに入れていただいた。感激の資料館で、こういう館を維持するために税金を払いたいと思った。
 建物は、旧山形師範学校本館を解体復元したもの。
 1教室分ずつ、各時代の教育をジオラマと、写真を多用した解説パネルと、実物資料で見られるようになっている。特に興味深かったのは、「子守学級」。明治20年代、男の子に比べて女の子の就学率が低かったので、乳幼児を背負ったまま登校する子守学級が各地に誕生したという。面白いのは、背負われている乳幼児が、けっこう年齢的には大きいという点だ。1枚1枚の写真を見ていくのが楽しい。給食の始まりも山形県から。これはそう言えば、何かの文献で読んだような気がする。明治22年鶴岡市の私立忠愛小学校で、貧困児童に給食を始めたのが、日本で最初の学校給食とのこと。
 少し時代をさかのぼって、明治初期の「就学牌」。就学督励のために身に付けさせたもので、この牌を提げていない子どもは、巡査や役人から就学を勧められたという。教育社会学の授業に使えるネタだ。「想画」も気になった。
 昭和17年の、初等科工作の教科書。男子用は軍事・科学教育の一環としての模型飛行機製作、女子用は防毒マスクのつくり方なのだが、今でいうなら牛乳パックの工作みたいで、いくらなんでも、これでは毒は防げないでしょうという代物。勤労動員と、東京からの学童疎開の受け入れ。ハイライトは、「戦ふ小国民」(昭和18年)から編集した7分間のVTR。ここでは、雪合戦も、体力増強の方策なのだ。
 戦後のコーナーには、副読本「あたらしい憲法のはなし」(1948年)。そして、僻地教育の写真。古寺分校の「ひとりぼっちの勉強」。男の子が黒板に「一人でもさびしくなんかないぞ」。そしてさまざまな山形の教育雑誌が並ぶ。
 校長室と書かれた部屋には、本棚があり、さまざま文献が並んでいる。館内全体、写真撮影可とのことで、参考になりそうな本の背表紙の写真を撮っていく。
 大井沢自然博物館研究を手がけたこと(そして、途中までなこと)がきっかけで、山形の教育はずっと気になっている。
 写真は、子守学級(宮内小学校)。