長い一日の終わりに山形で

 朝、8時伊丹発の便で仙台へ。空港から仙台駅まで電車でいけるようになり、時間がずいぶん短縮された。宮城県美術館にて、必要に迫られた雑誌のバックナンバーを見せていただいたり、書き直している原稿のアイデアを相談したり。公開制作中の、斉藤道有さんに、常日頃、疑問に思っている質問をぶつけてみたり。斉藤さんとお話していると、いろんなことに連想が飛ぶのだった。「たまにわ」というおもしろいフリーペーパーもいただいた。
 2階の特別展「生誕100周年 靉光展」を見に登る。赤茶色の煉瓦の広くゆったりとした階段を登っていくとき、ここが自分の美術館体験の原点なのだなあと、つくづく感じる。
 靉光展では、帯絵(鴨と花)が面白かった。帯絵などを描いていることが意外だったし、靉光が描いた帯は、さすがに締めたくないよな〜とか。(たたりが出そうだ!)
 会場の最後のガラスケースの中には、靉光が結婚に際し、妻となる女性の兄に宛てて書いた「身上書」が展示されており、読んで笑ってしまった。前代未聞の身上書だろう。
 階下に下りて、常設フロアに入ったら、英語が聞こえてくる。齋さんが、白人の若者たち相手に、英語でギャラリートークされているのだった。面白いので、そのままついていく。日本人と違って、大人しく集団で聞くという様子ではないが、若者たちの自由を尊重しつつ、うまく要所要所で、齋さんの説明に引き寄せていく。英語で和やかに話されるのだが、なぜか、萬鉄五郎と、松本竣介の説明だけは、日本語交じりになってしまうのだった。私の好きな大沼かねよの「シューズ・クリーニング・ショップ」(1933)では、齋さんは、顔を上げてこっちをしっかり見ている女の人がいるよ、これが彼女だね、と面白い説明をされた。無意識のうちに、そういう絵を好んでいるということか。
 高速バスで山形へ。途中、緑が深い。どんどん、自分が自由になっていく感覚を味わう。七日町の飲み屋のカウンターで、原稿に赤ペンを入れ終わり、先ほど、依頼の主に送信した。それにしても、飲み屋を探すのに苦労した。山形の人は家で飲むのだろうか。