あいだ138号のこと

 拙稿「『芦屋市立美術博物館の一年を振り返って』を聴いての走り書き」が掲載された『あいだ』138号を送っていただいた。編集のFさんが、細かく原稿をチェックしてくださり、どういう部分が誤読されやすいかなど、大変勉強になった。

 それはさておき、冒頭に掲載されている坂入尚文さんの「どうせなら、美術館をつくるな!−新設のふたつの美術館の場合」が目を引いた。タイトルのつけ方がうまい。しかも、この“ふたつの美術館”とは、青森県立美術館横須賀美術館なのだ。

青森県立美術館は平成5(1993)年に教育委員会の一部として開設準備室を立ち上げている。開館は昨年(2006)7月。それまで非常に長い準備期間を要したのは、この美術館建設の原資が核燃料最終処理場にからむ国からの補助金であったため、当然、県議会でも反対論が強かったからでもある。

という坂入さんの一文が非常に気になった。前に、立木さんのお話を那覇で聞いたあとにも青森県立美術館の建設資金が気になって調べたことがあったが、結局分からなかった。そのとき、見つけた東奥日報の記事からは、「県単独事業」と読み取れるのだが。

 今日も1〜2時間ほど、青森県議会の議事録を検索してみたが、美術館建設への反対の論調は見当たらなかった。坂入さんの文章に出てくる「反対論」は、核燃料最終処理場に対する反対という意味なのだろうか? 「原資」も具体的に、建設費用のどの部分を指すのか不明だ。書き手には当然と思われることでも、読み手の側に基礎知識がないと、意味が取りづらい場合がある。なぜ、開館までに長期を要したのかは、議事録を相当詳しく読んでみないと分からない。あるいは、事情をよく知っている方に直接聞いてしまうのが、手っ取り早いのだろう。

 坂入さんは、横須賀美術館の展示とカタログを「一定の水準に達してはいる」と評価されている。木村さんの「かじり」は、私は、“これは美術館に置いてあるから、作品とされているけど、街の中でやったら、単なる変態だよね”と思った。そう言うと身も蓋もないし、こちらの教養(知性?)のほどが知れてしまうのかもしれないが、観客の目の前で実演するのでもなく、「かじりあと」だけ見せられてもなあというのが、正直な感想だった。

 カタログは、今、手元にないが、相当な分量、英文が入っていて、横須賀ならこういう配慮も必要かとも思ったが、あれだけ激しい建設反対(見直し)運動があった末の開館記念展なら、一般来館者向けに、図録の作りや、文章の書き方を工夫してもよかったのではないかと思った。横須賀に限ったことではないが、多くの美術関係者の書く文章は、どうしてあんなに難しいのか(わざと難解な文章を書く練習をしたのではないか)と私なぞは思うのである。

 ところで、坂入さんの文章のあとに、山口昌男さんの小さなコラム「美術館問題に関するコメント」が掲載されている。そこには、「本年5月の日本記号学会で横須賀美術館の問題が取り上げられた」と書かれている。慌てて検索してみたところ、石内都さんの講演があったようで、それに付随して議論が行われたのだろうか。気になるだけで、さっぱり記号学会での議論の内容は分からないのが残念だ。