『僕の叔父さん 網野善彦』

 中沢新一さんの本を初めて読んだ。中沢さんが、叔父の網野さんに出会った1955年から始まり、中沢さんの高校・大学時代・1983〜84年頃を中心に、網野さんと意見を交わし、刺激しあった日々が記されている。網野さんの三著作(『蒙古襲来』『無縁・公界・楽』『異形の王権』)誕生の秘密とその研究の意味するものが、時系列に捉われることなく、生き生きと描き出されている。中沢さんの筆力や構成のうまさに、途中でやめることができなくなり、一気に読んでしまった。高校・大学時代の中沢さんの読書量や知識量にも、ただただ圧倒されるばかりだったし、家庭内の会話だとか、学問上の刺激を与え合える親密な関係にも、思いを巡らされた。ないものねだりをするならば、中沢さんが網野さんに出会うまでの若き日の網野さんについては、ほとんど触れられていないのが残念だった。
極めて個人的に、ピックアップしておきたい箇所が多々あった。以下は、その私的メモ・抜書きである。

歴史学とは、過去を研究することで、現代人である自分を拘束している見えない権力の働きから自由になるための確実な道を開いていくことであると、網野さんは信じていた。(70頁)

日本で始めてアジール研究をした平泉澄の『中世に於ける社寺と社会との関係』(1929)について、中沢さんは、次のように分析する。

アジールの埋葬をもって、彼の青春は終わる。平泉澄アジールとして表現された自らの欲望を抑圧するために、『中世に於ける社寺と社会との関係』を書いたのだとも言える。その抑圧の過程を、彼はまるで病院のカルテのように、包み隠さずに書いた。・・・まことに、平泉澄皇国史観は、一個の精神分析学的症例であった。(93−94頁)

それで、平泉の書いたことの引用がまた、面白いのである。

しかるに歴史は、その本質において、けっして事実そのままの模写ではない。たんに事実を事実として、全然自己の判断を拒否し、一個無関心の傍観者として対するならば、この世相は複雑混沌極まりなく、変転生滅ついに把捉しがたい。我等がこれを把捉しうるは、我等の力によってこれを組織するによる。しこうして我等がこれを組織するは、自らの意志により、信仰による。・・・(『国史学の骨髄』)(91頁)

極めつけは、網野さんが都立北園高校の教師をしていた時代に難問を吹っかけてきた生徒の言葉。「先生はそこでなぜ日本人は天皇制を消滅させることができなかったのか、という本質論を説明すべきではないですか。先生の説明は現象論の域を出ていない」という鋭い突っ込みである。ここを読んで、そういうことか、と腑に落ちたのである。私自身の書くものは、「現象論の域を出ていない」のだな、と。平泉の言葉から考えるならば、模写した事実を組織する「意志」が足りないのだろう。「信仰」はあまり持ちたくないが。 
あと、「偽文書に価値を認める先見の明をもっていた、中村直勝みたいな歴史家も戦前はいたんですが」(141頁)という記述も、発想のヒントとして覚えておきたいと思った。