「今、問われる 文化施設の使命とは」(3)

 小林先生のお話の続きを。指定管理者制度の制度自体の紹介は、興味深く伺った部分のみ、メモに基づき復元させていただく。()は、私が想像で補った部分。

 公の施設とは何なのか? 地方自治法第10条の2には、「住民は、その属する普通地方公共団体の役務の提供をひとしく受ける権利を有し」とある。箱物を作ってサービスに使ってもらう、施設を作りながら提供するのは、自治体がやらなければいけないサービスだ。
 地方自治法第224条の2の3に、「普通地方公共団体は、公の施設の設置の目的を効果的に達成するため必要があるときは」とあるように、何が何でも指定管理にする必要はない。施設の運営は、民間にやってもらいたくても、手を上げてもらえないとやってもらえない。地方では、文化ホールやギャラリーの運営をしたことがない企業(しかない場合もあり、民間が)手を上げないタイプのものもある。公共サービスは、民間に肩代わりするものがいなければ、行政がやるしかない。
 指定管理者の選定基準(が問題だが)、誰に行わせるのか、どのように選定を行うのかは、各自治体に任されている。が、自由すぎてもいけないということで、法改定のあとで、総務省から選定基準の通知が出された。この通知では、住民の平等利用の確保、施設効用の最大化、管理経費の縮減、管理を安定的に行う物的・人的能力の保有、が選定基準として示された。
 地方分権一括法以来、国と自治体は対等になった。国から地方への指導は禁じられている。この通知では、公平性・効果性・経済性・安定性が(判断基準とされている)。行政で言う「経済性」とは、例えば夕張市のように財政難(に陥る中、)さまざまな経費縮減、予算切り詰めが「経済性」と(捉えられている)。しかし、経済学では、最小の資源で最大の効果を上げることを「経済性」と言う。行政は、今やっていることをいかに安くできるかと考え(がちだが)、芸術文化の振興の“最大の効果”とは(何を指すのだろうか)。
 市民ニーズ、市民の声を単純に反映させることがいいことかどうか。市民とは誰なのか。多くの人が満足していても、一人だけ文句を言えば、行政は対応(しがちだが)、その人が市民の代表なのか?
 市民の満足度をどう設定するのか? 別の満足度を得る? そこがよく分からない。政策目標がどこにあるのか、設定がしにくい。【以下、続く】

 お話を復元している途中でコメントをつけるのは失礼かもしれないが、私としては、小林先生が引用された、地方自治法第10条の2が、印象に残った。小六法で確認したところ、この条文の全体は、「住民は、法律の定めるところにより、その属する普通地方公共団体の役務の提供をひとしく受ける権利を有し、その負担を分任する義務を負う。」というものであった。この条文から、なぜ、施設建設の必要性が導き出されるのであろうか。
 小林先生は、その直後に244条に言及されていたから、10条に書かれている住民の権利の保障を具体化するために、第244条「普通地方公共団体は、住民の福祉を増進する目的をもつてその利用に供するための施設(これを公の施設という。)を設けるものとする。」がある、と考えておられるようだ。この大事な部分は、聞き逃してしまった。

 適切な「公の施設」の量や質をどうやって決めるのかが問題だと思った。また、10条には、「その負担を分任する義務を負う」と書かれているから、将来世代をも含んだ住民が、負担しうる、また負担してもよいと納得できる施設建設でなければならないはずだ。指定管理者の選定基準以前に、施設建設・維持の適否を考える必要があると私は考えている。

 「市民とは誰なのか」のところでは、思わず、横須賀のことを思い出してしまった。これは、超難問だと思う。