「今、問われる 文化施設の使命とは」(7)

 小林真理先生のお話の続きを。()は私があとからメモを見ながら、記憶と想像で補った部分。

指定管理者が取り消された事例としては、倒産、NPOが指定をとったけれども理事長が健康を害したなど。全体の傾向として、指定管理の期間は長くなっていく傾向にある。2006年で1回選定をして、指定期間が3年しかなかったところは、次の選定の準備に(かかっている)。
(前回は)十分な募集期間が(なく)、情報提供がなされなかった(が)、2回目は十分募集期間をとって、綿密に。
公募案件の増加。非公募(だった施設も)公募(される)ケースが増える。(指定の)手続きに関しても、審査委員会(方式をとるところが)増え、有識者が参加(するケースが増えている)。
公共サービスは、問題が起きたとき、自治体と指定管理者がどのように(リスク分担をするのか)、明確な規定(が求められる)。
(指定管理者として)こういう人にやってほしい(というのが明確に[この部分メモ追いつかず])。(指定管理者募集に際して)、地域要件の緩和が見られ、全国中から応募が可能に(なる事例が増えてきている)。複数の応募があって、落ちたところが納得がいかない場合、不服申し立てができる制度を設けるところ(も増えてきた)。
指定管理者の選定は、もっとよりよい(サービスを応募者に提案させる)民間提案制度を設ける(自治体もあり)、北九州市のように(優れた提案に対して)自治体が管理運営費を上乗せする自治体も出ている。
最初は手探りで、民間営利企業NPO、さまざまな参入の可能性がある。よりよいサービスが提供できるかもしれない。最後に我々は、行政に何を求めるか?
行政や議会の価値観を変える行動、(例えば)アメリカでは、1960年代にはじめて(文化芸術分野に)公的資金が投入された(が)、アドヴォカシー活動が(活発で)、文化予算を増やすためのアドヴォカシー活動マニュアル(が存在する)。
行政には、最低限の役割を求める。海外はこうだからは、通用しない。環境への理解も、この20年間に急激に進んだことを考えると([このあとメモ追いつかず])、どのように理解を深めていく活動をするか。
環境、ゴミの問題は(現在では重視している政策だが、20年前には、例えばゴミの分別など)自治体は関心を示さなかった。価値観を変えていくこと、文化芸術は単なる贅沢品ではなく、生死に関わるもの、と価値観を変えていく活動をしていって、行政にどこまで何を求めるのか、(このことを念頭において)指定管理者制度(の問題)を考えていかなければならない。【第1部講演は、これで終わり。休憩時間のあと、第2部パネルディスカッション:以下、続く】

前半は、とくにコメントすることはない。アドヴォカシーの話では、最近買った本(『失われた民主主義』)のことを思い出しながら聞いていた。これまた小田中さんのブログで知った本で、気になりながらまだ読めていない。アドヴォカシーを手放しで素晴らしいと受け入れる前に、この本で勉強してみたいと思う。
価値観のところは、相当に難しい問題だ。小林先生の「文化芸術」の範疇が、私のそれと重なるのかどうかも分からない。「文化芸術そのもの」と「ハコ」の問題が、どこまで切り分けられているのかも、この講演ではよく分からなかった。
 また、私自身は、「文化芸術は生死に関わるもの」とは言わないと思う。そこが、小林先生とは決定的に違うところなのかもしれない。小林先生に、そこまで言わせるものは何なのか、おそらくそれが小林先生のモチベーションになっているのだと思い、興味を抱いた。私自身は、「文化芸術」を“人生の楽しみや、生きる意味を構成するもののうちの一つ”と考えているのだと思うが、文化の中に、例えば活字文化が入るのか、とか、学問も文化の中に入れるのかとか、変なことを考え出してしまった。そんなふうに勝手な内省を膨らませながら、小林先生のお話を思い出している。