『ウェブ炎上』

 荻上チキさんの『ウェブ炎上―ネット群集の暴走と可能性』(ちくま新書、2007)を読んだ。一番驚いたのは、このチキさんが、1981年生まれだということ。私の上の子が1982年生まれだから、猛烈なショック。20代の人がこんなすごいもの書けるのか、というか、20代だからこそ書けるとも言える。ネットに住んだ(今も住んでいる?)人だからこそ書ける本だろう。
 さきにチキさんのサイトで、“「バックラッシュ」についてマスコミ学会で喋ったこと。”を読んでいたので、本書での主張はそれとかぶる部分が多いように感じたが、とにかく面白く、役に立つ。

 もちろん、もともと私たちは人によって見ている風景がまったく異なるものですが、ウェブでは、見ている風景がまったく異なる存在が可視化されるということが時に起こります。(72頁)

・・・「これまでつながっていなかったものがつなげられる」ことによって、「出会いたかった人」だけでなく、それまで「出会うはずのなかった人」や「出会いたくなかった人」とつながることも起こりえます。・・・このようにウェブ上では、場所や時間による棲み分けのルールが変わることで、「もともと届くはずのなかった人」にメッセージが届く、ということが起こりえます。(106−107頁)

 チキさんの本を読むと、いかに自分がこれまで自分好みの世界を作り、その中に住んできたかに気づく。それに、それはどうやら、私個人の問題ではないようなのだ。上記サイトにも載っている、

カスケードについて考える例として、こちらの図を見ていただきたいと思います。こちらの図は「political books」(Polarized Readers -- May 2004)と呼ばれるものです。これはどういう図かというと、アメリカのAmazonにおける政治関連書のリコメンド(この商品を買った人はこんな商品も買っています)のリンク構造を分析すると、右派と左派の本が見事に分化しているという模様を描いた物です。赤が保守で、青がリベラルのもの。保守系の本は保守系の本ばかり読み、リベラルの人はリベラルの本ばかり読む。もちろん日本でも状況が同じです(右)。
http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20070623/p1

という分析は非常に興味深い。

他には、「グーグル八分」という問題。知らなかった。

グーグルというアーキテクチャを利用することで、ある特定の言説を国民のほとんどが閲覧できないようにするということ。このことは、アーキテクチャのあり方によって議論の方向性が大きく左右されることを如実に表しています。しかも各人に「言論の自由」が確保されたままに、です。(93頁)

さらに、「道徳の過剰」の問題。ミクシィへの不適切な書き込み(「飲酒運転」など)によって、大学に通報されてしまう学生・・・こんなふうに考えたらいいのか、とすっきりした。引用ばかりになるのもいけないので、あとはぜひ本書でお読みいただきたい。