恭王府/北海公園

takibata2008-03-24

 北京最後の日なので、中国らしい(?)場所→水と柳という連想から、恭王府に行くことにした。地下鉄2号線「鼓楼大街」下車、十数分道に迷いながら歩いて、恭王府に到着した。入場料は20元、中国人の団体さんがいっぱい。池の上の建物は、赤いぼんぼり(?)が下がって風情があったが、なにせ、赤や白のお揃いの帽子をかぶった団体さんがいっぱいで、早々に退散した。あんな狭い園内を迷子になるとも思えないのに、なぜ、団体ごとに団子に固まっているのだろうか?
 そのあと、ふらふら歩いていると、北海公園の入り口に遭遇したので、入ってみることにした。入園料は、冬期料金で5元だった。すぐに静心斎があり、人も少なく、なかなか風情のある庭園だった。穴ぼこだらけの石をめでるふうなのは、ここも同じ。その先に進むと、九龍壁、そして、湖のある側へ出ると、柳の新緑が美しく、南に白塔が見えて、それなりの「イメージの中の中国」だった(これは、福岡アジア美術館で見た映像作品のイメージによる)。大慈真如殿というお寺があり、大きな仏像が3体、その真ん中の仏様の前で、靴を脱いで、何度もひれ伏しながら拝んでいる女性がいて、驚く。
 天王殿という建物の前で、音楽をかけながら、社交ダンスをしている一群の男女があり、なんだか面白いなあと思って、写真を撮る。その奥では、太極拳をしている人たち。帰りがけにも、足で蹴る羽根つきをしている男女や、アコーディオンを弾いているおじさんなどがいて、和む。なんだか長居公園みたいだな、と思い、中国最後のよい思い出になった。
 118路バスに乗って、「張自忠路」駅下車、地下鉄5号線に乗る。崇文門駅で2号線に乗り換えて北京駅に戻り、荷物を回収して、空港行きリムジンバスに乗った。
 というわけで、1週間の北京の旅もおしまい。
 中国のほんの一角を垣間見、その北、西、南に、広大な未知の世界が広がっていることをつくづく感じた。北京の歴史は、たかだか元代以降、それ以前の長い歴史は、もっと南の地に残っているのだろう。北京は、いなかと都会がごったまぜになりながら、オリンピックモード一色。北京っ子は、地下鉄やバスには、皆、ピタパのようなICカードを使い、携帯を持ち、怒涛のように乗り物を乗り換える。地下鉄の車内や構内には、アテネ五輪の様子を映し出すプラズマ映像が流れる。その一方で、北京駅周辺や長距離バスターミナルでは、大きな荷物を抱えた上京者の群れ。市内は至るところで、建設工事が進められている。巨大なビルだけでなく、胡同の民家群も建て替えで至るところにレンガが積まれている。10年、20年後の北京は、大発展をしているだろう。
 自宅に戻ってくると、家の前に、空き缶が捨てられていた。部屋に入ると、何か臭い。ハンストをしていたオオカミ犬の餌のにおいと気づいたのはだいぶしてからだった。
 写真は、北海公園でダンスをする人たち(2008年3月24日撮影)。