松本到着

 授業が終わってから新幹線、特急しなの、と乗り継いで、松本に到着した。やはり、最後の大糸線1時間がないのは、体力的にはとても助かる。明日は、北大町の大町公民館を訪問の予定。ここに、大町山岳博物館の開館以前の博物館建設運動時代の資料があるとのことで、やはり知ったからには、1次資料の存在を確かめないわけにはいかない。今回は、とりあえず現状を把握させていただく予定。今年は、月、水と飛び石で、来週も授業があるのが辛い。授業回数が増え、休めば休講プレッシャーが重く、なかなか調査に出られない。いきおい、どんどん内向的になっていく。年始も7日から授業があるので、原稿書きもだんだん心配になってきた。

 昨日は、3コマ目の簿記の授業。午前1時まで勉強したかいもなく、また小テストは8/20点。斜め前の背筋のピンとしたお兄さんが、満点を取っているのを見て、落ち込んだ。私はよほど、こういうのはセンスがないのだろう。私が寝たあとに、簿記のテキストを読んでいた長男は、簿記の法則性をあっという間に理解したらしい。私が問題を解いているのを見て、そこは違う!とか言う。
 授業を聞いていると、最後の方はなんだか眠くなってきてしまった。授業がうまいとか下手とかの問題ではなく、生徒(ここでは、私)の理解力に問題があるようだ。意欲や目的意識はあるはずなのだが、頭の構造が向いていなのでは? (高校時代の数学とか、物理、化学の授業を思い出してしまった) なにか、全体として簿記の構造がよく分からないというか・・・意味が分からないまま、数学の問題の解き方だけ覚えた受験生時代と同じだ。勤務先で、FD・FD・FD・・・ばかり言われる毎日だけど、先生の授業のうまい下手と、生徒への定着というのは、何か次元の違う話ではないかとか、簿記の授業を聞きながら、考えてしまい、ふと我に返る。昔から、苦手な科目は、空想の時間だったのだ。

 ところで、最近、さらに変なことにはまってしまって、犬の散歩だとか、炊事中などに、ラジオ講座を聞くようになった。これだと、皿洗いとかの苦痛が半減されることに気づいた。それでたまたま聞いた、「高校現代社会」がとても面白かった。法政大学の先生がお話されているのだが、「世論」の回と、「住民自治」の回。内閣支持率だとか増税社会保障など、ホットな話題を実に手際よく、短い時間にお話されていて、すごいなあと思った。
 犬は、というと、ずっと、エリザベスカラーが取れないままだったのだが、おとつい、帰宅したら、自分でエリザベスカラーを取ってしまって、トコトコと歩いてきた(最近、ケージから出して、リビングで放し飼いになっている)。時々、眼を脚でこすって、気が気でないのだけど、犬のQOLを考えると、もう外す時期なのだろう。