「日本の知識情報管理はなぜ貧弱か」

 買った本(藤原良雄編『図書館・アーカイブズとは何か 別冊環15』2008年)をざっとめくって、たくさんの論考の中で、たまたま眼について読んだ文献。著者は根本彰さん。たいへん挑発的な書き方だが、著者の真意がどこにあるのか、いま一つ、読み取りにくい部分があった。
 私が驚いた部分は、「戦争と情報管理」の章で、「日本の戦後図書館史に影響を与えた米国図書館協会(ALA)の活動を研究したことがある」のくだり。「そこで目を見張ったのは、第二次世界大戦中の米国においてALAや議会図書館(LC)が情報活動の重要なエージェントとして戦時体制に積極的な協力を行っていたことである」(63−64頁)云々とある。そういう話は考えたことがなかったので、素直に驚いた。が、アメリカなら大いにありそうな話だし、だからこそお金がつく? 基本的に、この本は、図書館・アーカイブズは大事だよ、と主張する本に見えるので、余計に不気味な感じがしたのは事実である。根本さんは、いろんな事例を挙げておられるため、読み手にはかなり幅のある解釈が許されている。微妙というか、頭のいい人はこういう書き方をするのか、とか・・・

 ところで、先週、ある非常勤先の授業で、この文献を学生たちと一緒に読んだ。学生たちの感想の多くは、アメリカの文書・文献管理システムが、資料点数は日本より格段に多く、整備・活用されていることへの驚きや、自分は図書館を使ったことがない(大学図書館をよく利用する学生でも、地域の図書館は使ったことがないとのこと)というもの、また1/3程度の学生は文章が難しすぎて、よく分からない(こんなジャンルの文章は読んだことがない)というものだった。
 そんな中で、一人、面白い切り口の発言をした女子学生がいた。
 「アメリカでは、一般の人がこんなに多くの情報にアクセスできるよう整備されているのに、戦争ばかりして、情報の使い方を間違えている」と。

 ところで、根本さんは、この論の中で、以下のような気になる言葉を記している。「歴史は検閲や教科書検定のような情報操作で変更できるものではなく、もっと長期的な国民的議論のもとにつくりあげられるものであり、実際に戦後はそうした過程にあったと思われる」(61頁)とある。歴史は、議論でつくられるもの?? 昨日書いたジャットの本のこともあり、ますます私の頭の中は混乱した。
 しかし、大町で、戦後間もない頃の文献を見る目に、ジャットや根本さんの文章が随分と影響を与えたのも、確かだ。