『ヨーロッパ戦後史 上』

 トニー・ジャット『ヨーロッパ戦後史 上』(みすず書房、2008年、原著2005年)を、今日、篠ノ井からの「特急しなの」の中で読み終わった。2段組の本文だけで573頁ある、途方も無く分厚く重い本。この3ヶ月ほど、ほとんどどこへ行くのも、この本と一緒だった。読書の時間は、通勤時間と、眠くなって明かりを消す前の数分程度。読み通せたこと自体が奇跡的だが、同時にこんな長い本を読んだのは、一体何年ぶりなのか、という自分自身の知的怠慢にあきれる。まだ下巻があるのだけど。
 こんな本を読もうと思ったきっかけは、この夏のヨーロッパ旅行にある。オランダ→ドイツ→デンマークスウェーデンノルウェーデンマーク→ドイツ→オランダと、陸路と海路だけを使って大移動した結果、人々がいともやすやすと、大挙して国境をまたがって移動していることが、じ〜んと身に沁みたのだ。前年に、ドイツ→スイス→イタリア→スイス→ドイツと移動した際にも、そのことは薄々と感じていた。今年も、しつこく、ドイツとオランダの間に、何か、眼に見える「国境」があるかと、窓の外に眼を凝らしたが、鈍行列車は、ごく当たり前に、2つの国を結んで、全く分からないままにオランダに入った。まるで、京都―大阪間を走る鈍行のように、普段着のお客さんを乗せたまま。
 帰国して、たまたま、新聞の書評で、この本のことを知った。解説は、長部重康さんが書かれているのだが、本書の結論を「EU欧州連合)とは歴史への一つの回答であろうが、しかし何ものによっても決して代替されえないのだ」とされている。EUと、シェンゲン協定によって、国境を意識せずに移動できるヨーロッパ。その、なぜ?の部分に、上巻だけでも、ある程度の答えは見出せたかと思う。
 戦後のヨーロッパに対するアメリカの戦略は敗戦後の日本を考えるにも示唆に富む。また、ヨーロッパの都市計画や、トリビアなところでは、ポンピドゥーってそういう人だったん?とか。ジャットは「68年世代」だが、ユダヤ系のジャットが現在、アメリカに移住していることが示すように、アメリカ人が拍手喝采しそうな「歴史書」あるいは「歴史叙述」でもある。
 この本を読みながら、歴史とは何? あるいは、歴史を書くとはどういうことか、ますます考え込んでしまった。この本は、あまりに大部なため、出典・参考文献は、書籍にではなく、下記のウェブサイトに掲載されている。(ジャットはニューヨーク大学レマルク研究所のディレクターだ)。http://remarque.as.nyu.edu/object/postwar
 相当に衝撃的だったのは、東欧の戦後史の記述。途中からは、私にとっても同時代史なのだが、高校世界史でも、時間が足りなくて、そもそも戦後史などまるで習っていないし、自分から知ろうともしなかった。固有名詞は断片的にニュースなどで知っていたとしても。
 「68年」とか、そこから影響を受けたように語られている(あるいは、自分が論文に書いた)「開かれた美術館」とかも、違う視点から調べる必要があるのではないか、というのが、現在の自分にとって直接的に示唆に富む点だろうか。あるいは、日本の占領期社会教育とか(これは別の本の影響もあるが、また後日)。
 しかし、さらに、博物館の歴史展示を支える理論の探求の着地点は、一体どこにあるのかと思う。