年末雑感

 慣れぬ掃除に張り切ったものの、ほこりで鼻をやられてしまい、今日は不調。でもダラダラと掃除を続ける。LD(食事+仕事部屋?+犬)の部屋がほぼ片付いた。机の下のダンボール箱が消えると、犬が足元までやってくる。ちょっと目を離した隙に、ゴミ袋の中からスティック糊をくわえていって、かじっていたりする。犬の目もほぼ完治したようで、今年最後の散歩にも出掛けた。
 書類の山を片付けていると、新聞の切り抜きなどが出てきて、つい読んでしまう。クラゲ&ノーベル賞の話を28日に書いたら、30日の朝日新聞に、下村脩さんのインタビュー記事が載っていた。私が想像したのとだいぶ違ったが、また別の強い刺激を受けた。柳田さんに先に書かれてしまったけど。
 下村さんの経歴はびっくりで、旧制中学1年の時の成績が302人中300番だったとか。学徒動員で4年生では一度も授業を受けることができず、旧制高校受験では2浪されたとか。アメリカでは、教職を持たずに研究に専念する研究者がいる、ということも知らなかったし、再渡米のきっかけとなった名大時代の「オワンクラゲの発光の魅力にとりつかれていたし、研究以外の助教授の職務がわずらわしかった」の一言がさわやか。

 ぼくはアマチュア化学者だ。ちゃんと型にはまった有機化学の教育を受けていないが、そこが強みでもある。ほとんどが独創で、自分で考え出した。先生から教えられていないから、先入観も最小限なのでよかった。

 これは本当にそうだと思う。私自身、大学を出てない、独創的な知人たちから、多くの刺激を受けてきた。そして、見出しにもなった「学会に行くのが大嫌いだった」という言葉にも、心打たれる。なんだかすごい人だし、面白い。柳田さんもよく似たことを書かれているが、今の日本の多くの大学や研究をするはずの場所は、行き詰まっていると思う。

 さて、大掃除で出てきた今年の切抜きの中で、他に強く印象に残っているのは、金沢工業大学ライブラリーセンター館長・笠覚暁さんの「図書館を遊びこなそう2」(日経2008年9月24日夕刊)。小田実の「何でも見てやろう」に刺激されて大学時代に世界無銭旅行。

 つくづく思ったのは、人間は一日一回は温かい食事と寝床がいるということです。それが満たされないと何も考えられず、何を食おう、どこで寝ようか、そればかり考えて建築を見ても見えていない。生存本能だけになってしまいます。

 わかる、わかる、この気持ち。
 あと、連載(「私の履歴書」)を1ヶ月分切り抜いたのは、前にも書いた、潮田健次郎さん(2008年3月)と、松田昌士さん(2008年11月)。松田さんは、JR東日本相談役だが、JR分割民営化に至る道筋が書かれていて、非常に興味深かった。

 お雑煮用のだし汁まで作ってしまって、妙に家庭的になった今年の歳の暮れ。年賀状は手付かずで、明日以降、書く予定です、お許しを。さらに、お目にかかった折に、「あとで○○をお送りします」とお約束したものは、ほとんどどなたにも送れませんでした。ごめんなさい。私、手紙(とお礼状)を書くのが大の苦手なのです。これが今年最大の懺悔です。この1年、どうもありがとうございました。