網走市立美術館

 網走にやってきた。全博協大会が明日午後からある。4時過ぎ、ホテルに着いて荷物を置くと、すぐに町に飛び出した。7年ほど前に来た町の面影はそのまま、見覚えのある商店街は、以前より寂れた感じだ。
 網走市立美術館へ行く。すぐ横に、市民会館。面白い看板が立っていた。「カラオケ生涯学習成果発表会」・・・

 そして美術館。チケットを買うと、壁の横のスイッチがONされた。すぐにぴんときた。私の地元の資料館も、来館者が来ると館長さんが走って展示室の電気をつけるので。独り占めの空間だ。がらんどうの展示室(ここまでは無料らしいが、今日は展示なし)の奥に小さな展示室があり、そこからさらに2階に上がるようになっている。
 その階上に、居串佳一(いぐしかいち)という作家の展示があった。素朴なコスモスの絵から始まり、風景画へ進み、「海に生く」(1936)こればアザラシやカモメを力強く描いた作品、「静夜」(1937)キツネが印象的な絵、そして「北方に生く」(1941)という生産・生業をイメージさせるような絵(プロレタリア美術風?)、そして「戦闘」(1943)「夜警」(1944)といった戦争画が3枚、その後、「春漁」(1947)は赤ん坊におっぱいを含ませている裸婦、「オホーツク海の海人」(1948)には、海をバックに6人の裸婦がバ〜ンと並ぶ。そして最後の作品は、「愛犬の死」(1955)だった。
 で、この作風の変遷は、以前、宮城県美で見た福田豊四郎と(私の記憶に間違いがなければ)そっくりなのだ。戦争が終わると、なぜ、ば〜んと強くたくましい女の裸が、赤ん坊をダシに描かれるのだろうか? プロレタリア絵画風の絵を描いていた人が、違和感なく戦争画へ進み、そして裸の女から、最後はまたやさしい自然を描いた絵に戻る。大きな時代の流れに乗った(流された)のか? 絵の面白さ(ヘン度)という意味では、福田の絵のほうが断然上だが、網走市美の居串の展示は、コンパクトな中に、いかに人が流行に、あるいは時代の潮流、今風に言えば「空気」に逆らうことが難しいかを示していると思う。
 居串の代表作は、チケットにも刷られているキツネの絵(静夜)なのだろう。キツネの姿がかわいいい。


写真は、網走市立美術館。