アーヘン大聖堂

 2009年8月11日(木)、ケルン発10:45、9430(各停か?)、11:24アーヘン着。実際には列車は遅れ、時刻表通りではない上、車両には私一人。ドイツ語のアナウンスは全く聞き取れず・・・予定到着時刻になってもまだつかない。ドイツパスのおまけについていたドイツ鉄道地図を開いて、駅名を確認しながら、でもすごく不安。少し手前で路線は分かれているし、降りそびれたかと思う。ベルギー、オランダとの国境に限りなく近い。鈍行でも国境をまたがって走るのは、昨年のドイツ−オランダ間で経験ずみ。
 それでも、無事、アーヘンにたどりついた。坂道の多い街だが、なんとか歩けそうで、迷いながらも、ホテルについて荷を降ろし、外へ飛び出す。
 目指すは憧れのアーヘン大聖堂。それで、昨年の10月に書いたことは、イタリアのサン・ヴィターレではなく、先にアーヘン大聖堂で実現した。
 アーヘン大聖堂は、外観も複雑な形をしていて、場所によって用材も異なり、美しい。私のカメラではとても全貌は捉えきれないのが残念だ。パンフ等にある、高いところから撮った写真は素晴らしい。テキストによれば、「カロリング朝の建築は、古いビザンチンの形式を用い、しかし、新しい、北方の要素を付け加えた」とある。



 大聖堂の中に入ると、写真撮影をする場合はお金を払って、という表示があるが、係員らしい人はいない。奥の方のガイドさんに尋ねると、すぐに戻ると思うとのことで、お金(2ユーロくらいだったか)を払って腕に巻くテープを貰う。ただ、あとで分かったことは、大半の人はお金を払わずに写真を撮り、誰も特に注意をする様子もない、という事実だった。
 黄金のシャンデリア。



 どっしりと角ばった柱。

天井画。

モザイク画でびっしりと埋められて華やか。

 先ほど写真を見ていて気づいたことだが、2階、3階には、アーチを支える支柱の間に2本ずつ円柱が入っているのに対して、1階には、支柱(piers)の間に円柱(colums)がない。テキストにあって、理解できなかった“no ground floor columns create heavier effect”って、そういうことか、とようやく分かった。柱がなくてどうやって建物を支えられるのか不思議だったのだ。

 2階へ上がろうとすると、男性ガイドに止められた。2階へは、ガイドツアーに申し込んだ人だけが上がれるとのこと。ガイドツアーの申し込みは、裏の博物館(宝物館)でだそうだ。そこで宝物館へ行く。入館チケットと英語のガイドツアーのチケットを買って、先に館内を見学。(この写真の建物の裏に宝物館がある)

 カール大帝の黄金の胸像はじめ、木彫りのマリア像や、祭壇画の数々。なかなか見事なもので、聖遺物の中には、これはもしかして人体の一部か、と思われるようなものもあった。帰国後、ひょんなきっかけで、フィリップ・シャルリエ『死体が語る歴史』を見ていたら、最終章の「古病理学旅行案内」の冒頭に「アーヘン」が上がっていた。その中には、「・・・カール五世が金と銀の聖遺物箱を作らせた。そのかたわらには、1237年から38年に制作された聖母の聖遺物箱が保存されており、中にアーヘン大聖堂の四大聖遺物(聖母の衣、幼子イエスの産着、イエスの腰布、洗礼者ヨハネの頭が入れられていた布)が入っている。・・・」とあった。金のシャルルマーニュ聖遺物箱は見たが、聖母の聖遺物箱というのはきちんと認識していなかった。向こうで入手したパンフを見ると、聖母の聖遺物箱の中身は7年に一度取り出され、展示されるそうだ。しかし・・・・西暦ゼロ年のものなら、とっくにボロボロになっていそうなものだが。(写真は、シャルルマーニュ聖遺物箱のはず。)

 ガイドツアーでは、一般客が入れない内陣まで入れ、壁面のフレスコ画や、黄金に宝石を散りばめた説教壇(ambo)などを間近に見ることができる。


 内陣見学のあと、待望の2階に上がる。だが、実際に入れるのは、最初の少しだけで、そこには、椅子が。この椅子はカール大帝玉座だったという。



 アーヘン大聖堂の扉。