ズエルモント・ルートヴィヒ美術館ほか

 アーヘン大聖堂を大満足で出てから、向かいのNobisというカフェで昼食をとった。Nobisは、創業1858年とのことで、アーヘン大聖堂のチケットの裏にカラー広告を出している。素敵なお店なのだが、驚いたことに、パンや、ケーキ、サンドイッチ等が並ぶショーケースの中にハエがぶんぶん・・・・店員もお客も、誰も気にするふうでもなく。カルチャーショックだったが、すぐに慣れた。おととし、スイスのレストラン(野外)で、床(道路と同じ)に落ちたフォークを拾ってそのままお客のテーブルに置いたウエイトレスを見たので、これがヨーロッパ標準なのだろう・・・。日本人が異常に清潔好きになったのではないかと思う。
 お店から見た大聖堂前。

 次は、ズエルモント・ルートヴィヒ美術館へ行くべく、アーヘン旧市街を横断。フラワーバスケットが見事だ。

 アーヘン旧市街は歩行者天国が多く、買い物客で賑わっている。衣服や鞄、雑貨のお店が多いのだが、扱っている品物に高級感はない。日本の学生たちが、近年、海外、特にヨーロッパにさっぱり興味を示さなくなっているのは、日本人の消費水準が上がって、個人の持ち物に関しては、ヨーロッパ標準を上回っているからではないだろうか、と考えた。
 迷路のような旧市街を迷って、ようやく目的地に到着。ズエルモント・ルートヴィヒ美術館の入り口。


 受付のおばさまに、荷物は全部ロッカーに入れてね、と言われ、手ぶらで入館。帰りも、おばさんが注意してくれなかったら、買い物だけして手ぶらで帰るところだった。
 館内は写真撮影禁止。最初に入った部屋は、新収蔵品・寄託品展(たぶん)。ブリューゲルの「鳥罠のある冬景色」があったが、ブリューゲル(父)本人の作品かどうかは不明。メモするものも、全部ロッカーの中に入れてしまったので、今となっては、記憶もはなはだ怪しい。
 このあと、工事中の展示室をいくつかくぐり抜け、マンモス像の骨格などが並ぶ部屋を通り、象牙の作品や、象牙の加工用品の展示を見て、お目当ての木彫りの聖像が展示してある部屋にたどり着く。誰もいない部屋で、木彫りや祭壇画を静かに眺める。
 それから部屋をたどっていくと、私の記憶に間違いがなければ、Nach Brugel(ブリューゲルの追随者?)と書かれた作品で、ブリューゲル(父)の「ネーデルランドの諺」をもじった作品があった。この時点ではまだ本物(本物は、ベルリンの絵画館にあった)を見ていなかったので、どこがどう違うか分からなかったが、画面の左上でトランプをしている男のお尻が完全にむき出しになっていたりして、可笑しい。
 あと、今、図録をめくって、ああ、これこれ、と思うのは、Otto Dixの“Loth und seinen Tochter”(1939)。すごいスケベ、と思った。ルーカス・クラナッハの“Judith mit dem Haupt des Holofernes”(1531)、切り取った首を持った女性、これはウィーン美術史博物館でも見たと思う。
 ステンドグラスばかりを集めた小部屋もあった。踊り場の監視員さんは、あっちは見たか、とか、こっちへ行けとか、フレンドリー。迷路のように小部屋が続き、来館者はほとんどいない、静かで面白い美術館だ。
 翌朝、アーヘン駅構内の書店で時間を潰していたら、なんとSFの棚に並んで、日本の漫画コーナーが、大きな棚一つ分あった。だいたい、日本文化で紹介されているのは、漫画と盆栽(これは園芸コーナーに必ずある)、ゲーム(ウィーンでは、カードゲームがショーウィンドウに並んでいた)、キティちゃんぐらい。美術系ショップなら、建築、江戸時代の版画、東京のケバイ夜景、ぐらいのものだ。
 写真は、アーヘン市内で見つけた、センペルビウムの寄植え。