全国博物館大会

 旭川市大雪クリスタルホールにて、第52回全国博物館大会の初日。あまりにもインプットされた情報、考えさせられたことが多すぎて(いろんな人ともお話して)、何から(何を)書こうか、になる。先日の学会(自由研究発表の部屋で受けた刺激)同様、自分の中の未解決問題に触れる部分は、筆が重くなるというか、できるだけ正確にあれもこれも書こうとすると、手間ヒマがかかってしまうのを恐れて、書かずに終わってしまう。今は特に手が痛い。行きの特急の中で書類を作っていたせいもあって、夜の懇親会では、ビールのコップすら重く感じた。座りっぱなしの運動不足もいけない。
 前置きが長くなったが、今日の大会では、シンポジウム1「地域の文化の創造−アイヌ文化と博物館−」が非常に盛り上がったことは、大会参加者の誰もが認めるところだろう。司会のスチュアートヘンリ放送大学教授が、非常にうまく時間と議論をコントロールされた。また、会場のクリスタルホール内には、部分的リニューアルを済ませた旭川市博物館があり、参加者が実際の展示と担当者の意図を照らし合わせながら見たり考えたりできる貴重な機会だったと思う。会場から次々ととぎれなく質問の手が挙がり、スチュアートヘンリ先生が最後に、人類学会と違って日博協は議論が活発だと言われたのが、可笑しかったし、竹内会長も、こんなに活発に議論されたのは何年ぶりかと言われた。以下、スチュアート先生の冒頭のお話の簡単なメモ。

博物館における表象
アイヌ文化の展示には、現代が欠如している。今はいない人という印象を(見る人は)受ける。博物館は権威であるから、展示で来館者が受ける印象は大切だ。博物館は、一般来館者に正しい認識に資する情報を提供する必要がある。それなのに、誤った解釈をされてしまう情報が入ってしまっている。
アイヌ文化を扱う道内21箇所の博物館を調査したが、現代の展示がどこにもない。アイヌの「現代」が希薄。アイヌ抜きの「開拓」が多い。和人が入って、初めて大地が切り拓かれた、誰もいなかった大地があるという印象を与えてしまう。北海道開拓記念館は、北海道歴史博物館に名称変更すべきである。しかし、現代を展示する矛盾もある。顔が分かる展示の問題、(アイヌであるということを)知られたくないという縁類もある。アイヌの人々の活動、普通の家で、普通の服を着て生活しているという展示。
カナダのロイヤルアルバータ博物館の先住民展示は、現代から始まり、ホール出口では、また現代の人々がメッセージを来館者に贈っている。現代から入って、現代に戻るという展示だ。
アイヌ自身は博物館に何を求めているのか。アイヌ民族出身の学芸員が少ない。そうは言っても、博物館が抱える問題(規模、予算、学芸員の負担、国立都道府県立vs.市町村立)がある。北海道では、アイヌの問題を避けて通るべきではない。博物館は、教科書と並ぶ、民族の表象だ。