全国博物館大会(2)10月1日シンポ

 昨日書いたシンポジウムの続きを。司会のスチュアートヘンリ先生に続き、講師は、萱野志朗さん(萱野茂二風谷アイヌ資料館館長)、出利葉浩司さん(北海道開拓記念館主任学芸員)、瀬川拓郎さん(旭川市博物科学館副館長)。以下は私個人のメモで、書き取れなかった部分も多々あるし、誤解もあるかもしれないことを先にお断りしておく。

 萱野さんからはパワポを使って、館の沿革とコレクションの概要。

アイヌ出身者が民族資料を集めて展示している館は、道内で3箇所。復元住居を見て、アイヌの村に来たと思う人がいるが、これは100〜150年前の復元だ。修学旅行生に講話をしているが、日本国内にある様々な問題(女性の問題、障害者、高齢者の問題等)を考えるきっかけなればいいと思う。昭和58年にアイヌ語教室を始め、これがアイヌ語塾となった。現在では道内14地域でアイヌ語教室が開かれている。また、館内では、音声付きの『萱野茂アイヌ神話集成』を館内で開館時間中ずっと聞くことができ、アイヌ語学習ができる。

続いて、出利葉さん。

結論としては、1.資料の活用、2.伝統文化の継承−経済的支援が必要←博物館に何ができるか。
アイヌの器物は、本来消滅すべきはずであったもの(「霊が送られる」もの)。
1.資料研究に収蔵資料を提供する。例えば、刺繍をアレンジしてタペストリーやテーブルクロスを作る際、どのようにデザインしていくか、どんなものなのか、作家に収蔵庫を開放し、じっくり手にとって見てもらう。民博でも、大阪に1ヶ月滞在して研究してもらうプログラムを行っている。
2.生活基盤が必要。博物館として何ができるのか。器物販売は、江戸末期から行われてきた。学び、継承するといっても、天然材を確保するところから始まって、器物を使う場面が生活の中にふんだんにあること。現代の生活にも目を向け、現代工芸家の作品を取り上げることも必要だ。お互いに理解、協議をすべきだ。

最後に、瀬川さん。

旭川市博物館のリニューアルでは、近年のアイヌ史研究の成果を紹介したいと思った。リニューアル前は、各時代の住居の復元展示を行っていた。リニューアル後は、イメージ展示に。公立博物館では、近代以降の植民開化以降が扱われている。(アイヌ展示は)民営館にほぼ限られていた。旭川市博物館では、従来のステレオタイプアイヌ展示と違う、従来の構造を逆転させ、一つの方向性を示したい。例えば、アイヌは狩猟採集を交易のために徹底的にやってきた。狩猟採集のステレオタイプ、北海道史の中の「支配されるアイヌの歴史」(従属史観)を問い直したい。
アイヌ展示は、縄文と近代の間に置かれる。和人の入植により、和人がマジョリティーとなり、和人の歴史が中心になってしまう。本州では縄文の獲得経済、弥生の生産経済、古墳時代の国家形成と、発展史観で説明されるのに対して、未開の世界を一くくりにして、二項対立的イメージが作られる。アイヌ展示は近代以前に配置され、過去の人々とされてしまう。

休憩を挟んで、質疑応答。

Q 人類学的分類がよく分からない。アイヌという民族があるのか?


瀬川 アイヌの成り立ちは、縄文人の末裔。13世紀には、大陸まで渡り、千島には13世紀以降、カムチャッカまで到達している。サハリンアイヌ、千島アイヌとして成立した人々もいる。


スチュアートヘンリ(司会) 多分に政治的な問題だ。日本列島全部アイヌ(という説もある)。民族とは歴史的に作られ、民族のあり方や範囲は変わっていく。私は形質人類学で、遺伝子はやっていないが、遺伝的交流(ということもあり)、民族意識は固定されるものではない。


Q 二風谷ではアイヌの人たちのほうが多いが、旭川では人口比ではアイヌ以外が多い。(そうした状況の中で、博物館活動はどうあるべきか)。また、開拓記念館が名称を変更すると聞いているが、それは道庁の姿勢か? またアイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会報告書を、どう受け止めるか?


萱野 観光客誘致は地域において有用だ。観光庁の補助事業で、平取町がモニターツアーを行っている。情報を充分に伝えることが大切だ。北海道以外の人は、どれくらい分からないか。アイヌの現状が分かっているのか。方法は試行錯誤だ。

 
瀬川 上川アイヌは日本、太平洋、オホーツク沿岸と通婚関係を持つ。上川だけで完結する世界ではない。地域は地域だけで完結しない。


出利葉 開拓記念館では北海道民の歴史と文化を展示する。アイヌの人々、移住してきた人々(中世に遡る)、少数民族の中には、カラフトから連れて来られた人々もいる。北海道という大地で起こった歴史を展示する。歴史観としての二重性があり、侵入した側の歴史と、本来暮らしていた側の歴史、侵入した側は悪者になってしまう。しかし、移住者にもそれぞれの置かれていた立場がある。どちらの側から、(というのは)完全に描ききれていない。


スチュアートヘンリ 
1.北海道では、アイヌのことを、社会・人文科学系の博物館では、何らかの形で展示する必要がある。
2.津軽海峡を越えて、アイヌのことを博物館の運営方針に入れる。歴史を運営指針としている博物館は、まず必要がある。誤った元凶は、検定教科書にある。アイヌは、明治に入ってからいなくなる。差別の問題で、最後に3行で終わり。
3.全国的な規模で、予算と、学芸員の知識が必要。アイヌ自身が何を求めているか。政策に関する有識者懇談会のことを、ここにおられる皆さんはほとんど知らないだろう。7月29日に出された報告書には、半分、歴史が書いてある。これからどうすべきか、非常に難しい。先住民族として認めるべき、という報告書だ。
 博物館は、古いものばかりある。現代のものがあっていい。あるということだけでも、伝えなければ。


アイヌの世界観を「自然との共生」と、萱野さんのお父さんが言われていたと思うが。


萱野 私は以前から疑問に思っていた。生き物を根絶やしにしないというのは、(採集生活にとって)当たり前のことだ。ところが、何かの仕事をして賃金を貰うようになると、山菜採りがハイキングと同じになってしまう。根絶やしにしないというのは、文化として廃れている。私は瀬川さんに同調する。ヤマトの人々は、いいとこどりをするが、それが一番まずい。アイヌを神聖視する。


瀬川 歴史に心を痛めている人はたくさんいる。(アイヌの)何を評価できるのか、我々は知らない。評価しようと思えば、「自然との共生」しかなかった。アイヌは人間として生々しい歴史を歩んでいる。


スチュアートヘンリ 「自然との共生」は、70年代、アメリカ発祥だ。資本主義、開発主義への対抗として、アイヌイヌイットアボリジニに理想像を求めた。60年代には、萱野さんも「自然との共生」は言っていないと思う。政治的なもので、レヴィストロースの「冷たい社会」(から・・・)


出利葉 北海道の状況は、政治的プロセス。


Q 「自然との共生」を言っている張本人だ。文化は物質文化だけで語れるものではない。考古学は精神文化へのアプローチが(欠けている)。


フロア 白老では観光資源として使っている。白老はウタリからかつて批判を浴びた。1億人の何人かしか、分かっていない。アイヌとは何か。アイヌの歴史とは何か。開拓記念館は、開拓だけやったら。


萱野 アイヌ文化は、9月30日、ユネスコの無形遺産に、追加登録された

 メモはここで終わっている。最後の方は、こちらの理解が追いつかない部分が多々あった。いかに自分が無知であるかを改めて(無知であることは、日々痛感しているが)痛感し、しかし、無知が免罪符にならないことも、また同様に意識した。
 それにしても、先入見なしに朝一番に見た時の展示の見方と、館側のコンセプトを知ったあとでは、いかに、自分が、展示を作る側の意図に気づかず、あるいは無視して、ある意味、自由に展示を見ているかに気づく。私自身は、展示内容ではなく、展示技術を見ていたようだ。これは改めて写真とともにアップしたい。
 ところで、メモにはとっていないが、質疑応答の中では、旭川市博物館の、入ってすぐの展示(霊送りされるモノの例として、熊の頭とともに、プラスチック製の回転式ガラガラも展示されていた)が現代のアイヌ展示として、盛んに言及されていた。
 で、少数民族の現代の姿を展示するということが、日本の博物館ではほとんど行われていないという話は、いささかショックだった。去年スウェーデンで見たサーミの展示(Nordiska museet)は、サーミの人々の過去と現在(の写真や語り)を展示していたから、そんなの当たり前だと思っていた。
 それから、この夏休みに、久々に再会した文化人類学専攻の同級生の話を思い出した。彼女は、国外の先住民の都市問題を調査したのだが、日本の研究者世界では中々受け入れられず、先住民の都市問題(現代の問題)は非常に重要なテーマなのに、と怒っていたが、あれはそういう意味だったのか、とようやく腑に落ちた。
 もう一つ、連想ゲームで、スチュアート先生の言われた遺伝子の話から矢原さんのブログ記事(12万年前の地層から出た「日本最古の石器」への疑問)を思い出した。学ぶべきことはあまりに多い。