『桂米朝 私の履歴書』

 『桂米朝 私の履歴書』(日本経済新聞社、2002年)を読み終わった。9月17日に横須賀で見た「ぶんぶく茶釜の綱渡り」の写真がきっかけで、“タヌキは綱渡りができるのか”2つのMLで質問させていただいたところ、東京のKさんから、上記の本に、宝塚遊園地での「タヌキの綱渡り」が出てくるらしい、という情報をいただいた。そこだけ確かめるつもりで買ったのだが、帯のコピーに魅かれ、全体を読み始めた。だんだん夢中になり、授業が終わったらこの本が読める!を楽しみに、この3日間を乗り切った。
 師匠の桂米団治さんも大変偉い方だったのだろう。米朝さんが弟子入りしたいと言った時を境に、ものの言い方が一変したという。米団治の稽古は理詰めで丁寧なものだったという。米朝さんも大変な勉強家で、師匠のお通夜の晩、亡がらの前で、子染時代の林家染語楼をつかまえて、まだ覚え切れていなかった師匠の持ちネタを聞きだし必死でメモを取ったという。
 圧巻は、6日間通しの独演会の3日目。高座で激痛が走り脱肛、こらえて最後まで勤め、寝台車で運ばれるものの、1万枚のチケットをすでに完売済み。「痔で死ぬこともあるまい」と腹を決め、一席しゃべると楽屋の風呂に飛び込み、脱腸を押し込みガムテープで固定して、お客さんに気づかれることなく全席を無事終えたという。
 「落語が一度ならず何度も聴くに堪えるのは、そこに『芸』があることは言うまでもない。何度も聴くうち、聴き手も耳が肥えるし、いろいろな味わい方をするようになる。いわば同じ噺でも聴き方が深まってくるわけで、演者の方も、それに応えられるだけの力量を身につけていかなければならない。これは米団治師匠の教えでよく聞かされたものだった」と。
 聴くことや見る(観る)ことは、決して受け身な作業ではなく、たいへん知的でアクティブな作業なのだ。このネタは早速、今日の授業で使わせてもらった。米朝さんとの縁を取り持ってくれたタヌキに感謝!