芦屋市立美術博物館のその後

 昨晩は、博物館問題研究会関西例会http://museum.cocolog-nifty.com/hakumonken/に出席した。例会テーマは、「新体制下でどうなった芦屋市立美術博物館」、報告者は、学芸課長の明尾圭造さん。これまで、美術系学芸員さんからお話を伺ってきた私にとっては、歴史系学芸員さんからのお話は、芦屋の問題のまた別の側面を知る貴重な機会となった。
 昭和26−27年、阪神間で最初に市史編纂事業に着手した芦屋市。H4年9月に着任された明尾氏は、財団雇用ながら、文化財開発申請の問い合わせへの対応等、本来市の直営の仕事を担当されてきたとのこと。財団雇用だが、芦屋市の仕事をするという認識だったという。市史編纂の資料は、元禄の頃からの資料が残る三条村のものが中心であり、三条村から寄贈寄託された公的な資料を今後どう取り扱っていくのか、芦屋市側からは回答がないとのこと。
 芦屋市立美術博物館は、2006年4月1日から市直営となり、NPO組織(AMM=芦屋ミュージアム・マネジメント)に業務委託されている。雇用は全員単年度契約であり、事業費も単年度ごと。2006年3月31日に、芦屋市文化振興財団が解散、明尾さんを含む全職員が解雇された。明尾さんは最初、AMMとは距離を置いてこられたが、市民から寄贈寄託を受けた歴史資料の問題が未解決の中で館を出られないとの判断からNPOに雇用されることを決断されたという。単年度契約では全生涯をかけた仕事は難しく、中で処理しなければならない問題の方向性が見えるまでは、何とか残ろうと考えておられる。
 12人いた職員は6人となったが、H16年度ベースの基本給で、来年度以降の保証はなく、現状維持が最高だろうとのこと。すでに空調等の不具合が発生しているが、施設補修のための改修費用を、これまでも市側は用意して来なかったらしい。
 事業費は前年度の半分の2000万円。受付や監視の人件費もカットされ、アルバイトの費用も事業費の中に含み込みにされたため、実質1200〜1300万円の予算で事業を行わねばならない。
 今回の、直営化、NPOへの委託は、何とか館を存続させました、という市側のポーズでしかないとのこと。AMMになって唯一の利点は、まかないが取れるなら、今日思いついたら今日出来るということ。芦屋の特性として、講座ものも、講師の人選や特典の付け方で人が集まるということ。儲ける部分(派手な部分)と、市からの事業費で安く料金設定して行う事業は、分けて考えるべきで、資料の活用・保存など市がお金を出すべきものは出すべきであると。
 NPOの理事の方たちは、あくまでボランティアであり、日々の仕事は6人のスタッフの皆さんがされ、NPO側の現状は、最終決裁のハンコと、月一回の定例会のみ、という現状とのことであった。
 明尾さんは、市の側の無責任さを強く追及され、このような芦屋方式が蔓延することを強く危惧しておられた。現在の原資の中では、スタッフ各人がエキスパートでないともたず、本当に人件費として充当すべきは何かを考えていかないと、という厳しいお話になった。給料計算、保険や厚生年金の問題など、振興財団の財務処理も滞る中、本当に大変な思いをされたようだ。
 そんな過酷な日々の中、展覧会図録も、一般図書販売できるレベルでないとデッドストックになるだけだから、研究レベルに達しているもののみ出すべきで、粛々と一般図書販売で話を進めている、と語る明尾さんの力強さ、明るさに驚かされた夜であった。
 以上は、私自身のメモをもとに再現したものであり、聞き間違い、書き間違いがあれば、お許しいただきたい。また文責は私(瀧端)にある。