沖縄シンポ(3)

takibata2006-10-26

 「第一回これでいいのか?県立の美術館シンポジウム2006」報告の続きを。
 安座間安司さんの基調講演に続く、パネリストの川平惠造さん((社)沖縄県美術家連盟会長)の「美術家連盟及び19団体の今日までの経過報告」の発言は以下の通り。

 50年間待ち続けてきて、どんなに素晴らしい美術館が出来るかと期待していたのに、フタを開けると博物館との複合施設だった。美術館の館長すらいない。(私たちが)待ち続けた美術館とは何だろう?
 沖展は小学校を借りて、60年近く美術展を開催してきた。県はお金がないと言いながら、大きな施設が建っていく。(今回出来る)美術館は、規模が半分に、それも博物館の中の美術館だ。県外に出かけた折には各地の美術館をあちこち見て楽しみにしている。高校生を連れて県外の美術館へ行くと、グリーンの芝生の中に美術館が独立して建っている。複合施設になってしまって、美術館はもう出来ない。後世に残る施設をつくらないといけないのに。
 一時、美術館をつくろうと、基本計画を策定し【1995年】、設計し、モデリングをしたが、(財政難で)出来なかった。(本土復帰30周年記念事業として建設が検討されるが見送られた【2001年】。) 沖縄振興計画案【2002年】で、いつの間にか美術館に博物館がひっついてくる。2004年、起工式が行われたが、館長室が一つしかない。
 沖縄県美術家連盟150名で、5月21日に公開質問状を提出した。連盟の総会で県の代表を呼び、「博物館が中心になって動いていて、美術館の学芸員が少なすぎる。沖縄県立現代美術館(仮称)の名称から『現代』が取られたが、アメリカや中国の現代美術をやりましょう、という計画はどうなったのか? 館長をとってしまったのは(なぜか?)」気になる点を訊いたが、学芸員の数が出てこない。管理運営には指定管理者という話で、県議会に申し入れをした【沖縄県の美術館に関する公開質問状支援文化19団体及び賛同有志「県立の美術館に関する陳情」、2006年9月28日】。
 県立の美術館は、どういうものに向かっているのか、今日のシンポは世論として動く。

 以上は、川平さんのお話を当日のメモを元に私(瀧端)が再現したものである。【】の部分は、当日配布された資料のうち、安座間さん作成の資料(年表等)をもとに補足した。
 以下は、私が川平さんのお話を聞いた時点で考えたこと。「沖展」の存在は、この日の昼間に訪問した浦添市美術館での前田さんのお話やパンフレットで初めて知った。とっさに私としては、「河北新報」主催の「河北展」を連想した。地元作家さんが中心になって県立美術館の建設運動が起こったのも、宮城県と同じと思った。だとすると、川平さんのお話の中の「(私たちが)待ち続けた美術館とは何だろう?」は、「市民ギャラリー」なのだろうか? でも、そのあとの「グリーンの芝生の中に美術館が独立して建っている」と言われたので、どんな美術館のイメージなのだろう?と考えた。私はとっさに福島県立美術館を思い出したが、あそこは図書館との複合施設だ。http://d.hatena.ne.jp/takibata/20060910
 沖縄の皆さんが、「現代」の呼称にこだわられる理由は、後ほどこのシンポジウムを聞くうちにだんだんとその理由が分かってきた。そしてそれはとても大事なことだと思った。それでは、続きはまた。

 写真は、識名園のガジュマルの木。