沖縄シンポ(4)

takibata2006-10-27

 今日は、シンポジウム2番目のパネリスト宮良瑛子さん(沖縄女流美術家協会会長)の発言「私たちが望む美術館」のご紹介を。宮良さんのご発言は以下の通り。

 博物館は観光に役立つけれど、美術館は役に立たない(というのが県の考え方だ)。美術家は、外国であろうとどこであろうと、自分で勉強する。しかし、美術館は一般の人たちのためにある。私は(年齢のこともあるので)県立美術館の恩恵を受けることはないだろうけれど、未来の沖縄について考えたい。豪華なものでなくてよい。開かれた空間であってほしい。(県立の美術館の問題に)長年関わってきたが、ちっともいい方向に進展がない。
 (私は)1974年、女流美術家協会を作り、また沖縄平和美術展を開催してきた。美術館がないことで不便だとか、不自由だからほしいというのではない。将来の子どもたちのために、開かれた美術館を建ててほしい。
 沖縄は亜熱帯の県で、沖縄の位置からして、アジアに開かれた個性的な美術館を。イメージあふれる美術館、沖縄は27年間、米軍の支配下にあり、迷惑をかけたアジアの方々と共に、県民、世界に開かれた美術館を。(現在の政治は)文化芸術に冷たいが、うるおいのある教育が必要とされている。民間への丸投げではだめで、(今回の計画では)専門の美術館館長がいない。最初、県は美術館の学芸員3名と言っていたのが、5名に増えたが、そのような形でお茶を濁してほしくない。将来に恥ずかしくない美術館を。豪華な贅沢な美術館を作ってほしいと思っているわけではない。沖縄らしい美術館をつくってほしい。

 以上は、宮良さんの発言を、当日のメモに基づいて私(瀧端)が再現したものである。
27日、「美術館問題について大いに語る会」の管理人さんが、私のブログを紹介して下さった。http://katarukai.ti-da.net/
またこのブログには、当日の会場の様子を伝える写真が掲載されているのでぜひ、ご覧いただきたい。また、私が手入力しようかと迷っていた、1994年2月開催の「沖縄県立美術館建設を考えるシンポジウム」企画趣旨を全文掲載して下さった。こういう形で、ネット上で相補的に情報発信できることがとても嬉しい。
 この1994年のシンポの企画趣旨は、今回、安座間さんが用意して下さった資料の中に掲載されていて、この格調の高い文章に心打たれ、ぜひ、広くご紹介したいと思っていたものである。「つくることと視ることを媒介とする空間思想、建築とのリンケージ、そして、<いま><ここに>美術館を造ることの意味と価値など、解決しなければならない様々な問題があるように思われます。このことは、個別美術のジャンルにとどまらず、沖縄の文化のオリジナリティーと世界へ開かれた共時性が試されているということでもあります」というこの文章は格調高い。
 さて、宮良さんとは、シンポのあと、前島アートセンターでご一緒させていただき、女流美術家協会を作り、沖縄平和美術展を開催されてきたご苦労などを聞かせていただいた。那覇では、今回のシンポのように、さまざまな立場の美術関係者が、一ヶ所に集まって議論ができる、そのことが今、とても不思議に思えている。
 写真は、23日に訪れた首里城から海を眺めたところ。那覇ではホテルの部屋にクーラーを入れていたが、今いる曇天の仙台では、部屋にほのかに暖房がかかっている。沖縄のあのまぶしすぎる日差しがなつかしい。