沖縄シンポ(6)

takibata2006-10-30

 今日は、4番目のパネリスト、小林純子先生(沖縄県立芸術大学助教授)のご発言「県立の美術館の現状と問題点について」をご紹介しよう。以下、私のメモから再現しているが、()で囲った部分は、メモにはなく、前後のメモから文脈を推定して書いたものである。

 1960年当時からの建設運動(のいきさつを)遺族の方から図面やメモ等見せていただいてきた。美術館建設(運動)は、時々出るが、立ち消えになる。
 平成5(1993)年に「県立美術館基本構想検討委員会」が立ち上がり、委員会の委員を務めた。美術関係団体の一員として県に意見を言ったが、県からは明快な答えが返ってこない。美術館の建物は、一時凍結された。
 平成14(2002)年、(美術館整備計画は)再開され、(建物は)順調に建った。だが、美術館の中身は何も決められずに来た。(今年の)5月、急に動きが出始める。県は、「県立博物館新館・美術館のあり方を語る会」(以下、「語る会」と略記)を作ったが、この会は、知事の諮問機関ではない。県は、あいまいな性格の会を作ってしまった。この「語る会」では管理運営の問題に絞って検討をし、方針案を打ち出した。(この結果)決まったことは、美術館と博物館が統合されて一つの館になってしまったということだ。また(館長の)ポストが2つなら兼任だが、(ポストは1つになってしまった)。「語る会」第2回までは学芸は直営で、となっていたが、第3回の「語る会」では学芸展示の一部を指定管理者が代行することに決まった。
 この方針案を下敷きに設置条例を作っていく。しかしこの方針案は(12年前のシンポジウムの結果を踏まえた)基本計画を無視している。この基本計画は、運動を起こしてようやく作ったもので、他府県のものと比べても優れた基本計画である。美術館の目的、理念、活動方針を明確に打ち出したもので、バブル期の1県1館運動の時期にできた美術館のような中身のないものではない。基本計画を無視するということは、県民に対する約束を無視することで、博物館と統合されたことは(問題である)。
 日本の博物館には、理念的思想的背景、文化政策がないが、(今回のように)管理運営が理由で、美術館と博物館が統合されたのは、沖縄が初めてのケースである。【以下、続く】

 小林先生のお話はまだまだ続くので、今日はここで中断させていただく。小林先生のお話を伺っていて気づいたことは、私自身がこれまで、都道府県立、という形ではミュージアムを認識してこなかったことである。県立レベルも、政令指定都市のものも、その他の市町村のものも、「公立館」という枠組みで考えてきたことに気づかされた。公立館という枠組みで見れば、「美術博物館」タイプのものは芦屋を含めいくつか存在するだろう。ただし、統合された理由はまだ調べたことがない。
また、博物館と美術館という区別も、沖縄の皆さんの問題意識を伺うまでは、全部<ミュージアム>というくくりで考えようとしていたことも考え込む点だ。例えば、フランスのミュゼは圧倒的に美術館で、ミュゼの中に考古学の展示(ところが、フランスでは考古学展示と言っても、首のない彫刻だったりして、何が美術か、考古学か?を考えさせられる)があったりする。

直近で感じた例では、先日の仙台市博物館の美術展示のようなものがあるし、また大英博物館のガイドツアーの内容は、人間の美意識のルーツを探るもののように感じた。http://d.hatena.ne.jp/takibata/20060817大英博物館のアイ・オープナー・ツアー)
むろん、沖縄の皆さんがおっしゃる、美術館の専門館長を、というお気持ちは分かるが、例えば博物館長でも、資質の優れた方であれば、もしかするとOKな場合もあるのではないかと思う。そのような理由で、会場で署名用紙が回ってきた時には、だいぶ逡巡してしまった。現代美術館、と特化してしまえば、もう少し問題はシンプルになるようにも思う。

写真は、首里城公園の「琉球王朝―舞への誘い」。