『つくりながら考える/使いながらつくる』

takibata2006-11-29

 横須賀美術館の設計者・山本理顕山本理顕設計工場『つくりながら考える/使いながらつくる』(TOTO出版、2003年)を読んだ。論文の資料用に読み始めたが、それをはるかに越えて、一気に読んでしまった。山本さんは、分からない、と言いながら、スタッフと一緒に思考を広げていく。
 前半で面白かったのは、グッゲンハイム・ビルバオの批判。

山本 「ビルバオ」の話をもうちょっと話してよ。仕組みが分かってきた。ものすごい巨大さなんだね、1つは。
西倉 ニューヨークのグッゲンハイム美術館が持っている膨大な収蔵品があって、その収蔵品をかなり売ってそれで「ビルバオ」をつくるお金をつくって、今度はニューヨークから収蔵品を持っていってそこで見せているんですよ。
安原 「こんなものをつくってあげますよ」といってビルバオ市に話をもちかけて、タイアップしてやる。ディズニーランド誘致みたいに・・・・・・。
山本 アートワークが見せ物のようになって、できるだけ有名作品集めて、それを見せるって、考えてみたら変な話だね。いきつくところまでいってるね。そういうやり方が成功するとは思えないけどね。やっぱりあれはいびつなんだ。
西倉 みんな行くと安心するんですよ。どの絵もみんな知っているから。美術館というものの成り立ち方が、異常だと思いますね。今までなかった形ですよね。
・・・
山本 横須賀の美術館をやっていても思うけど、何が美術作品かということがもう分からなくなっていると思う。美術が美術館という建築の枠組みのなかに収まらなくなっているということだと思う。としたら、それでも必要な美術館というのは一体どういうものなのか、それを考えることじゃないかと思っているんですけどね。

 このあと、ヒルベルザイマーによる「ハイライズシティ」(1924)をめぐる山本さんの勘違い(長い間、当時の住宅に対する批判=「ディストピア」だと思っていた)から、「住宅を開く」という言葉の意味をめぐる会話に至るまでは、読んでいて実に楽しい。

桂 家族そのものが開くことを要請していないということですかね?
山本 ないでしょう、きっと。
桂 それを建築家が「開きたい」と思うのはなぜなんでしょう?
山本 現実に「開いちゃっている」からでしょう。

 「地域的な共同体が必要なのか」や、「ワンルームマンションは開く必要があるのか」など、次々と話題が広がっていく。「なぜ抽象化したいのかというのは、ちょっと分からないな。・・・多分、さっき西倉が言った『隣とは関係がない』という話。つまり、今、我々が現実的だと思っていることはできるだけ排除したいという意識なのかも知れないね。それは一種の現実批判なんだよ、きっと」・・・とこんな感じで、読んで何かとても元気づけられる本だった。横須賀については、むろん、もっと考えてみたい点はあるのだが。

 写真は横須賀美術館(2006年8月25日撮影)