『私たちが住みたい都市』

takibata2006-12-02

 山本理顕シリーズ第4弾を読んだ。むちゃくちゃ面白くて、4冊の中では一押しだ。『「51C」家族を容れるハコの戦後と現在』をバージョンアップさせた感じだ。
 伊藤豊雄×鷲田清一松山巖×上野千鶴子、八束はじめ×西川祐子、磯崎新×宮台真司山本理顕編『徹底討論 私たちが住みたい都市 身体・プライバシー・住宅・国家 工学院大学連続シンポジウム全記録』(平凡社、2006)、という豪華なラインナップ。
 どこもここも、メモしておきたいような箇所はいっぱいあるが、特に印象的な話を。
まず、西川さんの「カンガルーハウス」。せっぱ詰まった条件からの発想例。

能登半島和倉温泉にある温泉旅館が、1986年のまだ経済の成長期に温泉ホテルに変身をしたときに、従業員募集に困ったんですね。・・・そこで、子どもを抱えて働かねばならない母子家庭を家庭ごと組み込むという発想です。子供を持った単身の母親を仲居さん、接客係に教育して雇う。そのための母子寮兼保育園というのが、この設計です。
 実にそのとおりに空間化されていまして、一階が幼児保育から学童保育までを含む大きな保育所で、夜の11時半までです。仲居さんは三交替なので、夜、そこまでの時間保育が必要です。そして、二階以上は母子室になっています。母子室は二間なんですけれども、二間というのは本当に最低限の条件だと思うんですが、キッチンも小さいですし、まずお風呂がありません。お風呂は温泉ホテルですから、職場で入ってくる。子供たちは共同保育のところで入るわけです。ご飯もほとんどつくらない状態だと思うんです。・・・5〜6年働くと一戸建て住宅を買うローンが組めるんだそうです(pp.165−166)。

 山本さんは、「カンガルーハウス」は周辺環境から切り離されているのが難、とコメントしていて、それはそうなのだが、私は半ば本気で、こういうの必要だよねと思う。西川さんのお話では、「ここは本当に空間が一体化していて、子供が出たり入ったりしますから、昼間は自分の家に帰っていいわけですけど、ほとんど開けっ放しで行ったり来たりする」とのこと。母親の方は、職場の人間関係でもめたらいたたまれないだろうが、子どもは小さいうちは、仲良しがいれば、長屋を駆け回るような感じで楽しいのではないだろうか。親は、ご飯を食べさせていない、とか風呂に入れてない、とか咎められずに済むし。

 もう一つ、びっくりしたのが、宮台さんの話の中に「ふるさと創生」が出てきたこと。

80年代後半の竹下内閣の頃に「ふるさと創生一億円」事業が始まり、経世会政治に象徴される仕方で地方にお金がばらまかれて、○○文化会館やら○○観光物産館やら、多数のポストモダンハコモノが並びます。ところがこれらは例外なくテレクラの待ち合わせ場所になりました(pp.212)

地総債の落とし子は、指定管理者制度だけではなかったらしい。
それはともかく、磯崎さんも、「いまだに国は、あるいは都市整備公団は、あるいはその関係者は、あるいは研究者は、家族というものがあると思っている。それがなくなったのに、まだあると思っている。そういう幻想があるために事件が起こったのではないか」(pp.191-192)と。この本の、基調に流れる主張だろう。松山さんや、八束さんのお仕事もとても面白そうだし、西川さんの研究手法、発想を見るとすごいなあと思う。総じて、自分は半世紀近く、ぼーっと何をしてきたのかと。
 この本には、キーワード解説、年表、各著者のプロフィール&ブックガイドがついていて、もっと知りたい欲求に応えている。私のここでの紹介は変なところしか切り取っていないが、本書のスケールは大きい。「オタクの島」に住む方々に、ぜひ読んでいただきたい。「90年代になって賑わいを見せる場所は『ハコ』ではなくなり、そこにはコミュニケーションの実質だけがあるというふうになるのです」(p.213)というのも、宮台さんの言葉だ。
 
写真は、横須賀美術館(2006年8月25日撮影)