『スキャンダル戦後美術史』

 昨日届いた本の3冊目がこの本(大宮知信『スキャンダル戦後美術史』平凡社新書、2006)。Mさんの話題に出てきた「氷河期」が気になって読んでみた。本当に、「入場者が長蛇の列となる『ゴッホ展』とか『藤田嗣治展』などを見ると“美術館冬の時代”なんてどこの国の話かと思ってしまうが、実態はむしろ“氷河期”に近い状況ではないか」(p.167)とある。
 この項がある第五章「終焉を迎えた『美術館の時代』」から読み始めた。芦屋に指定管理者制度導入という誤認が見つかるものの、五章全体としてはいい線で書かれているのではないだろうか。

美術館という子供を作りっぱなしでネグレクト(育児放棄)同然の扱いをしてきた行政の責任は重大だが、役所にすべてを任せてこれまで美術館を放っておいた市民の側にも責任がないとは言えない。本当にミュージアムという公共施設が必要なのかどうか、必要だとすればどういうものでなければならないのか、税金の使い道を含めてそのあり方を徹底的に見直すと同時に、こういう文化施設との付き合い方を真剣に考えていかなければならないということだろう。(p.196)

という著者の問題意識には共感するし、フリージャーナリストがつぼを押さえてさらっと新書に書く、その力量に、とろくてちっとも論文書かないわが身を振り返らざるを得ない。
 第六章の「芸術大学の非芸術的騒動」、第一章の「戦後画家たちの戦後処理」、第三章「前衛アートは徒花だったのか」あたりは、BT(美術手帖)の記事や椹木野衣さんの著作などとかぶる印象を受けた。ただ、H氏の話や、BTが芸大受験予備校からの広告収入や受験生読者に支えられているのかなーと日ごろ考えていたことと重ね合わせて、この業界の大変さを改めて垣間見たように思う。
 この本は著者自身があとがきに書いているように、

美術界関係者だったら先刻承知の事柄も多々あると思うが、一介の美術ファンにすぎない私にとって今回の取材は、へー、こんなことがあったの、という発見と驚きの連続であった。・・・いろいろ厳しいことを書いてきたが、美術界がもっと元気になってほしいという祈りを込めて本書を書いた。・・・門外漢が美術をテーマに書くなどということは畏れ多いことだが、美術業界とは利害関係がない門外漢だからこそ自由にものが言えるということもあるだろう。

という記述が、本書の性格を物語っている。ぜひ、美術関係者の読後感を聞いてみたいものだ。二章・四章については、私は予備知識がないので、本書に書かれていることの当否は判断できない。
 それにしても、ミュージアム関係者が、戦略的にN会議のH氏の文章を使うのが、私にはずっと違和感がある。権威に対しては権威をもって対抗なのかもしれないが、なんだかがっくりしてしまうのだ。そのもやもやが、本書の東京芸大法人化問題のところ(p.220)を読んで、さらに暗い気持ちになったのだった。