沖縄フォーラム(10)

 ディスカッションの続きを。時間も経過し、議論も熱を帯びてくる。

Q 画廊をやっている。沖縄は美術館の体験の歴史がない。スプリーさんが幼い頃からの体験を話されたが、近現代の美術(館)を一般の沖縄の人はぜんぜん分からないと思う。「現代美術館」(の構想)は、いとも簡単に崩され、12月まではずっとたたかった。政治的な形で条例が成立して、独立した美術館が持てない。民度の低い沖縄。じゃあ、どうやってたたかっていくか、切り拓いていくか。いきなり、8時間美術館、16時間美術館と言われても、発想は分かるが、コミュニケーション・アートも分かるが、根底の美術館の定義(はどうなるのか)。我々はまだ(美術館を)体験していない。沖縄はまだ非常に貧しい。美術館の役割、沖縄の状況をどう考えたらいいのか。
南嶌 (美術館は)なくてもいい。何を美術館と捉えるか。一つのハコ、装置を美術館と捉えるか、美術館のないまちが精神的に豊かで(ということもある)。
 (私は)5つの美術館を立ち上げた。2つめに広島市現代美術館を立ち上げた。黒川紀章の本当にひどい建物だ。(新聞社が)「もし館長だったら」という特集を組んでくれた。広島はああいうまちで、美術館は比治山という小高い山の上にある。原爆投下されたときに、いのちを守るために逃げ込んだ山だ。陰になってわずかに被爆せずにすんだ、いのちを求めて逃げ込んだ山を切り刻んでつくった美術館だ。
 「もし、あなたが館長だったら」、できたものはハコとして、世界の美術館やコレクターから、生と死をテーマにした美術作品を借りて展覧会をし、作品を返したあと、この美術館を全部壊して、もとの山に戻します。木を植え、比治山に残す。かつて、いのちを求めた美術館、そのエピソードだけで生き続ける。
 これを読んだ中核派から、あなたたちとたたかおう、と(手紙が来た)。私は、一人でたたかいますと返事を書いた。
 建物ではなくて、沖縄(の人)はまずいというけど、たたかった歴史がある。すでに勝利が見えている。どこの行政もダメ。自分で責任を取るような人間はいない。美術館は見えないけれどもすでにある。私たちに、高みに立ったときに、沖縄という場所に立ったときに。
 変な遠慮をする必要はない。世界のどんな遠いところにも、言葉は届く。目に見える美術館は、ダメかもしれないけど、闘争の中で誰もが共有している美術館がある。必ず、何らかの形で形になっていく。

 ここに、私が何を書いても蛇足だろう。
 写真は、佐喜眞美術館(2007年4月1日撮影)