天草合宿3日目

takibata2007-05-05

 朝の勉強会のあと、三角(みすみ)西港に出発。スナメリウォッチングがメインだが、バスの中のNMさんの解説で、三角西港が歴史ある港だと知る。三角西港は、明治17年から3年間で造られた港で、オランダ人ムルドルの設計による。石積みの埠頭を取り巻くように山側をぐるりと環濠が取り囲んでおり、海に向かって2本の水路が造られている。明治20年に開港した後は、熊本県唯一の貿易港として繁栄するが、鉄道が敷設されなかったため、新たに東港を築港し、三角西港は衰退してしまう。しかしそのために、レトロな港の風情を残している。
最初に目についたのは浦島屋。1、2階に広いベランダを持つ洋風建築で、あとで気づいたことだが、熊本市シティマップに載っている熊本洋学校教師ジェーンズ邸(の写真)とよく似ている。これがコロニアル様式だろうか・・・と思いながら見る。
もう一つ、面白かったのが、旧高田回漕店(三角町指定文化財)。明治20年代の回船問屋の建物で、2階まで一般公開されている。裏へ回ってみると、見事なベンガラ塗りになっている。2階にも畳の部屋が6間もある立派な建物で、一部障子が破れたりしているところが残念だ。1階部分も、土間と板の間と畳の段差が面白い。環濠の奥まで登ってみたかったが、完全に子どもを放っておくわけにもいかず、港へ引き返す。港は港で水路の様子や埠頭の丸みのある石組みもとても美しい。岸壁に座って、海を眺めながらお弁当を食べる。
三角西港物語http://homepage3.nifty.com/kabolabo/take/misumi/
このあと、JR三角駅へ出て解散(オプション参加の人はこのあとも観察会が続く)。JR三角線は、たった1両きりのワンマンカーでこれまた風情があるのだった。案の定、列車の中で息子は爆睡。今年は昨年の干潟合宿の失敗に学び、荷物輸送計画と往復対策はほぼ万全だった。事前学習会で、宿舎の近くにコンビニがあると聞いていたので、この日の朝、長靴や衣類、お土産などは、宅急便で先に送り返しておいたのである。熊本市内のビジネスにも、合宿に不要な荷物は預かってもらっていた・・・というくらい荷物が多い(ほとんどは子どもの着替え)。息子はさらに熊本市内のビジネスに到着してからもチェックインを待つ間にロビーで寝てしまい、無理を言って早くチェックインさせてもらい、そこから2時間近く、また眠ってしまったのだった。その間に、さらに次の荷物を宅急便で送り返す。干潟合宿は、まさに荷物と寝てしまう子とのたたかいなのである。
世話役の皆様、熊大のTさん、お疲れさまでした。お味噌汁や果物など心づくししていただき、ありがとうございました。同行の皆様、いろいろとお騒がせいたしました。学んだことは、みなさんの荷ごしらえとか、道具の使いかた(割り箸利用とか・・・)。干潟の生き物についても少し詳しくなることができました。
写真は三角西港の旧高田回漕店(2007年5月5日撮影)。