芦屋シンポ(5)

 前置きはさておき、芦屋シンポの続きを。

司会(森下) 次は柿木理事から。柿木理事は、くいだおれの経営者で、経営の専門家として(のお話を)。


柿木 大阪で飲食店の役員をしている。そういう視点から、経営上、運営上の課題を。一つは施設の経営、二つ目はNPO法人の経営。


 まず、美術博物館の経営。企業と違い、収支が合う事業ではない。一般の企業の組織経営のマネージメントの手法のようなものが確立されていない。目的、業務、評価の基準が確立されていない。公立館は、市、市民がスポンサー(だが)、評価のものさしがない。どの程度うまくいくのか。市民からの評価が目に見える形で現れない。入館者数と言っても、ニューヨークの(有名な)館でも、入館者からの収入は十数パーセントしかないと聞いている。そもそも博物館にはそういう性質がある。
 スポンサー、民主主義、どれだけ実現されているか。美術博物館がいらんという人はほとんどいない。地元からは「あんな美術館ならないほうがよい」という意見もあるが、それは運営に対する不信であって、美術館そのものはあるほうがいい。議会では、金食い虫だから閉めたほうがいい(という意見もあったが)、民意がどう行政に反映されるか。


 美術博物館は、全国で破綻に瀕しているところが多い。これは、日本の美術教育に根本的な欠陥があるからだ。日本人の芸術の感覚と、どう連続しているのか。日本人の美意識が、日本の美術教育でどれだけ引き出されるのか。学校教育レベルで破綻している。
 (美術博物館の運営を)どうしたらいいか、市民は口をつぐんでしまう。(でなければ)「ピカソ持って来い」とか無茶を言う。市民の中でコンセンサスができない。


 経営上の工夫は、我々は4月になってから契約した。それまでは、ひたすら館のスタッフ人事をやっていた。(市の提案する金額では)人がおらんようになる。半年間、労使交渉ばかりしていた。その間、活動計画できず、4・5月は組織の引継ぎ(に追われた)。財団の解散と引継ぎがスムーズにできず、2ヶ月は余計な雑務に追われた。走りながら、どうずべきか、運営の目標設定をする。この間、芦屋の市民に声を上げてもらうために、芦屋市民に支援されることを・・・(他所から・・・けっこうだ。)それ以前に、市民に認知してもらうことが大事。


 館の存在意義、エンターテイメントも必要だが、市の施設として、類似する図書館(同様)、市がお金を出して、本来、博物館法には入館料とってはならないと書かれている(のだから)、教育機関(としての性質が与えられているはずだ)。
 国立近代美術館と比べると、規模も小さい、国立の機関が最先端の美術をやるのは(かまわないが)、公立が高等学校とすると、専門館が中学で、市立は小学校だ。美術の基礎の基礎を学んでもらう。(というのが)とりあえずの方針。童美展、市展、公募展、市民の目を重視。ここはどういうところか認識してもらうために、明確なイメージ(が必要だ)。


 ここは美術館と呼ばれてい(て)、前衛的なものが中心。歴史では遺跡の展示(もあり)、一環した展示が出来ていない。なにわ四条派、この館の売り物にしていく。3年シリーズで(やっていく予定で)、四条派は、所蔵者に民間の人が多くて、まとまった研究がなされていない。明尾さんのネットワークで、芦屋が始めたと言えるような企画を。決まったイメージ(が一定あり、そのイメージを変えるには)3年くらいかかる。継続してやっていきたい。
 これまで(の美術館)は、学芸が見るに値するものを選んで見せていたが、今は、できるだけたくさん並べて見ていただく。これでもかというほど、見てもらう。おのずといいものが分かるように。大量に展示する(ことで)芦屋市民が共有している美意識を・・・。

 
 AMMの経営基盤は、ボランティアによって支えられている。構成員の好意によって成り立っているから、首ということはできない。適材適所ということもできない。ここに、こういう人材がほしいという募集ができない。現実に生業を持っているものが関わるのには、制約がある。広報誌を作り、何を見に来てほしいか書くが、印刷にかけたものをどうやって配るか、(年)4回で、100万円かかる。運営費の中では無理だ。輪転機で刷って、どういうルートでまわしたらいいか。なかなかスムーズに播いていけない。未解決の問題があり、知恵を集めて・・・。(シンポ前半はここまでで、休憩を挟み、ここからはプログラム後半のパネルディスカッションが続く)。

 柿木さんのご発言には、私はいろいろと言いたい思いはあるが、市外の人間には口出しできないようなものを感じてしまうのだった。これは、私の側からの遠慮ではない。一つだけ言わせてもらうなら、「日本人の美意識」と言われてしまうと、ちょっとこれはついていけないなと思ってしまうのだ。