芦屋シンポ(9)

 シンポの続きを。今日は電通の笠井良平さん。これも、記憶とメモが定かでない部分があり、勘違いがあるかもしれないがお許しを。

笠井 電通で、公設公営のミュージアムの展示、企画をいくつもやってきた。20年前から知っている。(この美術博物館は)芦屋浜の真ん中(で)、オイルショック後の見直し計画で初めて提案させてもらった仕事。土手の向こうは荒涼とした砂漠で、これだけ緑が増えてよかったなあ(と思う)。
 芦屋にはずっと住んで、今は西宮に移った。芦屋には屈折した思いがある。30数年間独り者で(過ごしたが)、芦屋には条例の関係で、生活のためのもの、健全な家庭のための運営(がなされ)、芦屋ボール(神戸市東灘・・・パチンコ屋・・・)、芦屋は純粋培養という印象を持ちながら暮らしている。


 博物館、美術館の仕事に、業務として携わっている。守秘義務契約(があるが)、いくつか感じたことを話してみたい。納得いく話で、現場で仕事をしていると。松山坂の上の雲ミュージアムも携わっている。館の維持管理は、指定管理者(が入っている)が、市の中に坂の上の雲まちづくりチーム、直営の係をつくり、学芸4、事務4、市職で2重構造になっている。
ケースの中にそれなりに貴重なものがあり、ランプがついている。このランプは1,000〜2,000時間で切れる。取り替えるのは、指定管理者か、学芸かが、いまだに決まっていない。ご遺族から預かった(資料があり)、学芸がんばってやってよ・・・。
(展示室には)4.5m(の高さに照明があり、これを)安全に取り替えるスキル、学芸にあるか。資料等々に関わるところに、指定管理者が関わることが増える。ローカルルール、全体のルール、早急に決める必要がある。


 パルケエスパーニャというテーマパークも手がけたが、この中に、博物館(施設)があり、プラド美術館への招待というソフトプログラムを作った。(自分は)美術が好きだったと言える。昭和30年代、小、中学校時代・・・美術の本を買ってきて読んでいたが、作家の伝記の情報が多かった。本当に絵画をどう見たらよいのか分からずに、試験のために覚えていく。プラド美術館の担当者からいろいろと説明されたことは、本当の意味での絵の見方。こんこんと説明された。こういう研究されていたのか。(日本の美術館は)作品名称と作家の名前しか書いていなくて、初めてその仕事をしたとき、ショックを受けた。(美術館の世界は)飛躍的に進歩している。キャプションの付け方、図録。(笠井さんのお話はまだ続く)

 ちょっと今日はここまで、という気分。4.5mの高さに照明があるのは、別に学芸に取り替える技術がない云々の話ではなく、メンテナンスの手間も費用も考えない建築家と、そういう設計を選んだ人たちの問題でしょ、と思う。笠井さんのお話に対しては、ミュージアムとは何か?という問いをせずにはいられないし、別にプラド美術館の話を持ち出さなくても、日本にも良心的な美術館教育の蓄積はあるのよ、と思ってしまうのだが。