柿木さんの論考(1)

 芦屋のシンポの会場で購入した、中川・松本編『指定管理者は今どうなっているのか』(水曜社、2007)収録の、柿木さんの論考「NPO法人芦屋ミュージアム・マネジメント―芦屋市立美術博物館をめぐる事情とその展望」について。
 買って読んでから日が経ってしまったが、一読したときに、大変ショックを受けた。柿木さんたちのご尽力で、何はともあれ、美術博物館が存続していることに敬意を表した上で、何がショックだったのかを書いてみたい。

 また、当初の署名活動にしても集まった署名には市外、さらには国外の方々のものが多かったという。しかし、市の財政が問題になっている以上、いくら市外国外の意見が強かろうとも、民主主義の手続き上はまったく意味をなさない。(113頁)

という断言である。署名をし、できる範囲で協力を呼びかけた身としては、こう書かれてしまうと虚しさが募る。当時から、市外の署名が多いと語る他の自治体のミュージアム関係者が結構いて、冷たいんだなと思ったが、それを思い出した。市の財政とは言っても、芦屋市単独でまかない切れていないのに、とも思う。
 もし、自治体ごとに完結して様々な公共施設を持つとしたら、壮大な無駄が生じてしまう。美術館や大型ホールなどは、分担して持てばいいので、所有している自治体の住民以外は口を出すなというのは、何か腑に落ちないのだ。ミュージアムは、自分が見たい展示や、使いたい機能があるからこそ、利用者は行政域に捉われず、好きなところへ足を運ぶものだろう。コンサートなども同じだと思う。集客面に注目しても、どこの自治体でも、自分のところの住民の利用だけでなく、“交流人口”(他所からやってきてお金を落としてくれる人)の増加を願っているはずだ。
 「民主主義の手続き」という話になるのだったら、広域合併しかないのだろうか。
 柿木さんは、

 しかし、問題はむしろ「存続させよ」と大きな声を上げてもらうことこそが困難なのである。・・・それどころか、一部のファンが「存続を」と叫べば叫ぶほど、その他の市民はしらけてしまうという現実すらある。(116頁)

こう書かれると、大人しく見守る(?)→無関心になる・・・しか方法がないような。
 柿木さんの結論は、

 公立の美術館博物館が目指すべきものは、学校でいえば小学校にあたるのではないだろうか。(124頁)

である。むろん地元密着の素朴な小規模館があっていい。でも、全部そうなってしまうと、つまらないだろう。
 柿木さんの論考には、もう二点、考え込むことが書いてある。これは明日にでも。