柿木さんの論考(2)と「美術博物館の大規模改修工事」

 昨日、書き残した2点というのは、115−116頁のところだ。

 しかしながら、美術博物館というものにさほど関心があるわけでない市民の方々と話してみると、どうやら次のように考えるものらしい。 
まず、「市の財政問題」はなかなかわからない。どういうところにどれだけお金がいるものかわからないし、それにしたがって適正な支出がなされているのかということになるとますますわからない。・・・
さらに美術博物館というものもわからない。「美術館はどう運営するべきか」などという議論になるとわかるわけがない。何より「美術」なんてものがわからない。・・・
こういう二重苦にさいなまれて、市立美術博物館の存廃や予算問題について一般の市民が考えようとしてくれるわけがないではないか。

 柿木さんの論考は、ご本人が現代美術ぎらい(たぶん)なのと、「芦屋のアイデンティティ確立」みたいな地域主義なのとで、私の志向とは違うのだが、思わず反論してみたくなるような刺激的なものである。財政問題はわかりにくい、というのはまさしくその通りだし、美術や美術館の難しさ、もそうだろう。ただ、わかりにくかったり、難しいからこそ、知りたいという好奇心が芽生えることもある。
 柿木さんの論考をあれこれ考えているうち、ふと、なぜ自分が「地域博物館論」に興味を持たなかったのかに思い至った。「地域」、特に「行政域」に捉われることが嫌いなのである。ふるさとも持たず、転勤族の子として育つと、地元、とか地域、というのは、自分を排除するもの、疎外するものとしてまず立ち現われてくるからである。
 さらに、私には、国というような枠組みも、よそよそしいものとして立ち現れる。だから、柿木さんの、日本独自の美意識を、という主張には、頷きがたいのだ。

 ところで、今日、芦屋市のHPを見ていたら、美術博物館施設改修工事費として4,000万円が今年度予算に計上されているのを発見した。H19年度施政方針にも、「また、市民センター、美術博物館の大規模改修工事に着手し環境整備を行ってまいります」と書かれている。さて、この4,000万円、高いのか安いのか。指定管理に出す前準備なのか・・・