雑誌記事3本

 法改正問題を少し幅広く考えようと思って、雑誌記事を3本読んだ。いずれも、面白かった。
・ 佐久間亜紀「なぜ、いま教員免許更新制なのか 教育ポピュリズムにさらされる教師たち」『世界』2007年2月号、121−130頁。
・ 佐久間亜紀「誰のための『教職大学院』なのか 戦後教員養成原則の危機」『世界』2007年6月号、123−131頁。
・ 戸波江二・兼子仁・苅谷剛彦・横田光平「特集・教育再生と法 座談会 戦後教育制度の変遷―戦後教育の軌跡と現況,将来の課題」『ジュリスト』2007.7.1.(No.1337)、2−31頁。

最後の座談会記録の中では、苅谷さんの問題提起がダントツ面白かった。途中からは、法改正問題への興味よりは、私自身が書きながら考えている「地域の変容」や「市民参加」の問題に、するどく切り込まれていると感じながら読んだ。
一つは、「戦前期から1970年代前半までは、財政力の低い県ほど子ども1人当たりの教育費も少ないという、貧しい所にお金をかけていない仕組みが続きますが、1970年代後半にそれが逆転する。それを可能にするような制度的仕組みは、国庫負担金制度と、教職員の標準法だったと私は見ています」(p.7)とある部分。では、社会教育費、またその中の博物館費も、同じ頃に逆転するのだろうか? 苅谷さんは、教育財政を計算されたそうだが、社会教育・博物館研究者で、そういう計算をやった人がいるだろうか?
もう一つは、「参加というものが持っている2つの要素、一方では市民参加によって民主主義的な制度が樹立できるはずだという楽観的な側面と、他方で地域的なエゴイズムのようなものの中で、自分たちの利害を最大化するために公共的なものを突き崩していくという側面がある」(p.16)という指摘だ。苅谷さんは、三権分立を挙げて、「選挙を通じて短期的に住民や国民の意思決定がなされたとしても、その政治的な決定に待ったをかけたり、行政にストップをかけるようなこととして、法律や司法が機能するというのが、民主主義の原理ではないかと思うのです」(p.29)と主張している。
市民参加論の方は、特に、昨日校正した原稿と、また、先日山形で仕上げた短い原稿とを思い浮かべ、どうもまだすっきり自分の中で、参加論が整理できていないな〜と反省した。「自分たちの利害の最大化」と言えば、地元芸術家団体がギャラリーとしての美術館建設・利用を求めて学芸と対立するという、古くからの問題がそれに当たるのだろうか・・・