『現代史を学ぶ』

小田中さんの読書案内にあった溪内謙(たにうち ゆずる)『現代史を学ぶ』(岩波新書、1995)を読んだ。今の私自身の心の中に、ひたひたと語りかけるものがあった。

禁欲的な実証主義の歴史家としての研究歴と、研究を作り上げる作業から練り上げた方法論が、あくまで参考という控えめな語られ方で紹介されている。本の構成としては、昨日紹介した『日本の山はなぜ美しい』とよく似ていると思う。小泉さんの本では、学問の性格上、「寒冷地形談話会」や先輩・後輩や教え子との実り多い共同調査が語られているが、溪内さんの本では、時流に流されまいとする孤独な歴史家の営為が語られている。学会、研究会などでの仕事の中間報告を避けるという記述は、耳が痛い。また、以下のような記述もある。

たまたまよんだ史料が、面白いテーマを発見する機縁となる幸運もありえます。ひとりの史料探検のほうが、パック旅行まがいの「共同研究」よりも実りが多い、といえるかもしれません。(42頁)

個人的に特に印象に残ったのは、「史料をよむ行為が歴史家の創造的思考の展開過程であるとすれば、その手法は、歴史家が自身で経験的に会得すべき性質のものである」という部分。史料をよむ行為は「前提的思考の解体と新しい一般化という、思考における破壊と建設、複雑化と単純化の往還的反復です。そうであるとすれば、史料よみの手法は、創造がすぐれて個性的な行為であるように個性的であると考えるべきで、自分で学びとっていくしかありません」(177-178頁)と前置きしながら、その前後で展開される、E・H・カーとのやりとりや、溪内さん自身の研究手法の開陳は、たいへん参考になる。

溪内さんは、現代史研究を、「生体解剖の痛み」とも記されている。折に触れて読み返したい、わが胸の痛む名著だろう。