塩の道を歩く(2)

takibata2007-10-23

 相沢先生の他は、友の会会員20名だけで(つまり学芸員の引率はなしで)出発、バスの運転手さんは女性。バスは、新潟県糸魚川を目指して、JR大糸線沿いに走る。

 山博友の会では、昨年までは姫川の右岸を「塩の道・東回りコース」として歩いたらしい。今年からは、姫川の左岸を歩く「塩の道・西回りコース」として企画されている。大町山岳博物館友の会には、2002年3月に入会したと記憶しているが、行事に参加するのは今回が初めてで、ドキドキだったが、事前にいただいた運営部長のIさんからのお電話で、だいぶリラックスした。私自身も行事に紛れるには、ちょうどいい年頃のおばさんになっている。

 バスの車中、相沢先生が、要所要所の説明をして下さるが、金曜からの寝不足もあって、つい、ウトウトと気持ちよくなる。それでも、青木湖の湖面から立ち上る霧(もしかしたら、木崎湖のほうだったかもしれないが)や、初めて見る白馬村の様子、そして、昨日、今秋の初冠雪となった白馬三山の様子などに、目を凝らした。相沢先生のお話では、(名前を聞き逃したが)おばあさんが夜中に目覚めて(くしゃみした?)ために、伸びるのが止まった山の話とか、仁科三湖がダイダラボッチの足跡だったとか・・・。眠気に負けてメモしなかったのが悔やまれる。

 相沢先生が書いてくださった当日配布資料の中には、今日歩く、塩の道にまつわるお話や村々の様子がまとめられていて、これも興味深い。コースは、須沢―今井谷(岩木・頭山・梶谷・西中・中谷内・大谷内・虫川)―不動滝―菅沼峠―朝霧沢―小滝谷、となっている。冊子の中に、橘南渓『東遊記』(1795)からの引用「姫川波浪」があり、寛政の頃、姫川河口は大変な難所だったらしく、雪解け水と数日来の雨水に、命がけで姫川沖の海上を越えたさまが描写されている。今見る姫川はその面影もなく、上流域で様々な取水が行われていることを想像させる。姫川の河原は、ごろごろと石が転がるばかりだ。

 バスは、浄化センターの横を通り、須沢臨海公園に到着。わずかの時間だが、海岸に出る。生まれて初めて踏む新潟県の地面だ。日本海は、思ったより青く、海に縞が出来ていて美しい。私は波打ち際までは降りなかったが、海岸まで降りた人の中には、突然の大波に、靴を濡らした人もいた。長野県の皆さんにとって、海は新鮮なようだ。(以下、続く)
 写真は、須沢臨海公園の海岸(2007年10月21日撮影)