塩の道を歩く(4)

takibata2007-10-28

 虫川を出発して、逆光に映えるススキと、今年刈り入れをした田んぼが残る山間の道を緩やかに登っていく。みなさんの観察眼はするどく、道々の植物をいろいろと発見し、コメントされていく。“何か珍しいものがないかな〜と絶えずキョロキョロしているからね〜”とのこと。放棄された民家が途絶え、山並みの木々を眺めるうち、不動滝に到着した。トイレタイムも含め、ここで長い休憩。坂道を下っていくと、開けたキャンプサイトがあり、バーベキューやキャンプファイヤースペースがある。左手に、細い幾筋にも分かれて流れる滝があり、右手の不動滝は豪快で、滝つぼの水際まで簡単に降りていくことができる。こんなたくさんの水がどこから流れてくるんだろうね〜と話しながら、帰ってくる。キャンプサイトと思しき草地に足を踏み入れると、グシュっと湿地帯のようになっている。

 駐車場に腰を下ろすと、石で胡桃を割っている会員さんがおられ、割りたての胡桃を分けてくださった。生の胡桃は思いのほかおいしい。“子どもの頃、よく胡桃割って食べたわ。栗も生のままよく食べたわ”と語られていた。信州の豊かな自然の中の生活を彷彿とさせ、お庭や畑のお話ともども、大阪とは異なる暮らしぶりに心惹かれる。

 ここからさらに歩いて、菅沼にたどり着く。今は人は住んでいないそうで、分校の建物が残っている。分校と言っても、木造トタン屋根の質素なつくりで、表に階段がついている。分校の横には、小さな空き地があり、もとは運動場だったのだろう、記念植樹をしたような小さな銀杏の木が幾本か植わっていた。調べてみると、菅沼分校は1933(大正8)年に菅沼分教場としてスタート、1974(昭和49)年に閉校したようだ(糸魚川市立今井小学校のHPによると、菅沼分校を閉じた今井小学校は、現在児童14名、職員数6名、3クラス)。銀杏の木はまだ小さかったので、植樹のいきさつはちょっと分からない。分校の建物の木目の部分には、10個くらい穴が開いていて、鳥(みなさん、名前を言われていたが、覚えられなかった)の開けた穴らしい。菅沼にも軽トラで農作業に来られている方があり、友の会のメンバーの一人が、道端に生えている茗荷を採っていいか、声をかけてくださる。

 菅沼峠にさしかかると、舗装がなくなり、ススキの穂の光る細い山道を一列になって進んでいく。菅沼峠には、謙信・信玄像の石仏。ここを抜けるとバスのお迎えがあり、バスに乗車、このあと、朝霧地蔵の前で一旦下車して、朝霧地蔵の由来を説明していただいたあと、再びバスに乗る。

 帰路、サンテイン小谷にて、温泉に浸かる。山博友の会の行事は、たいてい、帰りは温泉つきだという。とても快適な温で、湯船の中でいろいろとお話。山が好きで独身時代に、信州に移り住んで来た方とか。へえ〜あなたそうだったの、とか。中腰で浸かるくらい深い湯もあった。

 お風呂あがりに、「ゆきつばき通信に今日のこと書いてくれませんか」との打診があり、このあとは、幸運の“糸口”に・・・
 サンテイン小谷の湯で洗顔した効果は抜群で、久しぶりにお肌スベスベで帰宅した。 
 写真は、菅沼分校跡(2007年10月21日撮影)。