『系統樹思考の世界』

 三中信宏さんの『系統樹思考の世界 すべてはツリーとともに』(2006、講談社現代新書)を読んだ。この本を的確に紹介する力量など私にはないが、個人的に勉強になったところなどを。

 研究対象の性質上、典型的な自然科学が要請する基準(「観察可能」「実験可能」「反復可能」「予測可能」「一般化可能」)を、もともと適用できない分野がある。例えば「歴史」を対象とする研究分野。「歴史は科学ではない?」という疑問に対して、著者は、「科学そのものの基準を変える」、即ち、個々の科学研究分野の持つ特性や制約の中で、いかにして仮説や主張を経験的にテストできるかに主眼を置くべきだと説く。

 生物進化学を含む歴史学一般は、データと理論の「真偽」を問うのではなく、観察データが対立理論のそれぞれに対して与える「経験的支持の大きさ」を問う、つまり観察データのもとで、どの理論が「よりよい説明」を与えてくれるかを比較検討することで「科学の基準」を持つことができる。演繹法帰納法に変わる第三の推論様式がこのアブダクション(データによる対立理論の相対的ランキング)である。

 本書では、系統樹の推定方法が説明されたあと、大きなサイズでの系統推定問題は、現在のコンピューター科学では天文学的な計算時間が必要で、最適解を求めるアルゴリズムがまだ開発されていないことが述べられている。また、生物体系学の三学派「進化分類学派」「分岐学派」「表形学派」のウラが書かれているところが面白い。が、この部分は、当然の知見とされているのか、途中までで終わっていて、本書の後半で「発展分岐学」の部分的な紹介が書かれている。ここは通しで読みたかったと思う。

 そして、最後に、「分類思考」と「系統樹思考」という相矛盾する世界観について。「種」が実在するという考え方(時間的に変化する“もの”が、なお同一性を保持し続けるという本質主義)は、進化的な思考と矛盾する。著者は、分類思考は認知心理的感性であり、系統樹思考はアブダクションとしての推論であるとみなすことを提案しているようだ。

 以上、長い紹介。間違っていたらごめんなさい。
 個人的には、分岐学派のへニックが出てきたところで、日浦勇さんを思い出してしまった。最晩年、日浦さんはこの問題で頭を悩ませていたはずだ。日浦さんの著作を読んでいて、分からないまま放っていた。
 それはともかく、三中さんの圧倒的なパワーに押される。この本を読んだからと言って、何か悩みが解決されたわけではないが、巻末の参考文献リストに上がっているギンズブルグやホワイトの歴史書を読んでみようと思う。