『躍動するフィールドワーク』

takibata2007-11-03

 井上真編『躍動するフィールドワーク―研究と実践をつなぐ―』(世界思想社、2006)を読んだ。非常に面白い本で、これも小田中さんのブログでの紹介で知った。

 井上ゼミ(東京大学大学院農学生命科学研究科)の門下生、関係者らが、「フィールドに沈潜する」「地域の将来を考える」「現場のリアリティを政策へ接合する」「実務に関わる」の各章を執筆しており、執筆者の年齢や経験から生じる記述の差異が、全体として読み応えのあるものを生み出している。

 若手を中心に、研究者(やその卵)がフィールドで突きつけられる難題は、共通している。当事者にとっては深刻な、読み手にとっては、うん、うん、分かるという面白い事例をいくつか紹介したい。

・・・・こちらの一方的な質問に答えるのが嫌になったのか、聞き取り相手のおじいさんに「おまえは将来この地に嫁に来る気があるのか?」と逆に問い詰められた。(133頁、山下詠子さん)

もう少し、地域に入り込めたらと考えたりもする。そのようなとき、Iターンした方から、どうしてIターンして、実際に地域の活性化に関わらないのかと問われたことがある。実際、返答に困ってしまった。(137頁、奥田裕規さん)

村での聞き取りを終わったときに、老人が「昔この村に日本兵が来て、オランダ兵を追っ払ってくれたんだよ。いつかまた日本人が来て、私たちを助けてくれるとみんな信じていたんだが、あんたが今度は国立公園を追っ払ってくれるのか?」と真顔で言われたときには、さすがに返答に窮した。(157頁、原田一宏さん)

かくして井上ゼミの門下生の中には、「最終的に学術論文というアウトプットにしなければならない理由が見いだせない。学術研究は、自分と一部の人たちの知的好奇心を満たすものにすぎないのではないか」(201頁、名村隆行さん)と考え、博士課程を休学して国際協力NGOに就職した人もいる。

自分の研究の成果は現状の正確な把握であり、今後の森林管理の方向性を抽出することだったものの、「いまどうしたらいいのか」が何より大切な住民にとって、自分の研究がすぐに役に立つ話ではないのに気がついたのである。(231頁、齋藤哲也さん)

 最終章の齋藤さんは、開発コンサルタントになる。実務家として現地に関わる人の記述は迫力があり、最後は、開発コンサルタントから見た「学術的フィールドワークへの要望」で締めくくられている。

 読んでいて楽しく、出勤途上で読み始め、東海道線―新幹線―名古屋から松本へ(沿線の紅葉が美しかった)―大糸線信濃大町へ、延々と読み続けて、(夜はしっかり眠って)3日の朝、読み終わった。まさにフィールドワークの友。
 写真は、大町山岳博物館へ向かう落ち葉の道(2007年11月3日撮影)

【追記】今宵、七倉荘の旅人は、豊岡出身、岡山在住のKさん。戦後間もない頃、Kさんたちは、「鶴が卵産んだ」と聞くと、自転車に乗って出石まで行って、「鶴」の卵を採って食べたのだそうだ。当時、コウノトリなんて知らなかった、と。卵採るんだから、そりゃなくなるわよな。当時いっしょに卵採ってた連中は、みんな偉くなって・・・と。
 こんなところでコウノトリの聞き取りやってどうする、って感じだが、上記の本にも、豊岡のコウノトリの話が出てくるので、なんだかおかしくなった。
 Kさんのお話は、石見銀山周辺の廃村の話、古代出雲歴史博物館、荒神谷遺跡、足立美術館と続き、この4つが注目のスポットだと熱く語られた。