『ホールに音が刻まれるとき―第一生命ホールの履歴書』

 やくぺん先生こと渡辺和さんの『ホールに音が刻まれるとき―第一生命ホールの履歴書』(ぎょうせい、2001)を読んだ。非常に面白かった。内容自体もさることながら、最初に「あとがき」を読んだときから、ず〜んと来るものがあった。
 「あとがき」には、どんな資料をどうやって見つけていったか(マイクロフィルム化されたGHQ日報など)や、年表作成と並行して関係者インタビューをしていったそのリスト等が書かれている。さらに驚いたのは、インタビューテープの起こしや、データベース作成に実に多くの人が協力していることである。この協力者たちと、渡辺さんの関係やいかに? と、本題とはずれたところで、非常に興味を覚えたのである。
 もともと、やくぺん先生ブログで、

小生は世紀末から21世紀初頭にかけて、「第一生命保険相互会社」の資料室やらに相当入り浸って、この会社の社史だとか、日中戦争時代からGHQ占領下の時代のこの会社を取り巻く事情だとかを、それなりに細かく調べねばなりませんでした。この会社のお堀端の本社ビルに設置された集会室が日本の独立後に「第一生命ホール」として一般に開放され、1950年代にクラシック音楽のブロードウェイとなった日比谷通りでの小ホールとして機能した歴史調査、拙著『ホールに音が刻まれるとき』(ぎょうせい2001)のための資料調査でした。http://blog.so-net.ne.jp/yakupen/2007-12-07

とあるのを見て、絶対にこれは読まなくては、と思った。
 少し前から、ジャーナリストの仕事と、「研究者」の仕事と、どこが違うのか、あるいは違わないのかを考えていた(それはたまたま、調書流出で鑑定医が逮捕された事件で、「情報提供者を守るのはジャーナリストの基本」といった内容が新聞に書かれていたことが、ずっと引っかかっていたので←「論文」だと、典拠に誰から聞いたか書いてしまう)。
 渡辺さんの本には、巻末にまとめて、章ごとの参考文献リストが掲載されている。「論文」だと、1箇所ずつ、膨大な注をつけて典拠を示す。「その内容は・・・・ここには書けません」(124頁)とかは書けないし、形容詞も極力使わない。
 でも、読んでいて、どっちが面白いか、誰が最後まで読み通してくれるか・・・と考えると、書きたいこと、伝えたいことの究極の目的が同じであれば、ジャーナリストの仕事を非常に有意義だと思ってしまう。

 さて、本書の内容自体も、初めて知ることが多く、楽しかった。特に接収された「第一生命館」に、陸軍司令部が、のちにGHQが入っていたとか、矢野家のエリート教育、そして東京のホールの歴史。渡辺さんはいい仕事をされている。1箇所だけ引用を。

昭和二〇年の秋、カロリー不足による病人が続出するほど、東京市民は飢えていた。が、どんな演し物だろうが、観客は列をなし、劇場に押しかけた。歌舞音曲の類がまるまる一年以上も途絶えた帝都の市民は、娯楽にも飢えていたのである。これほど芸術や音楽が必要とされたときはなかった。(44頁)