『思春期ポストモダン』

 斎藤環さんの『思春期ポストモダン』(幻冬舎新書、2007)を読んだ。これも薄くて軽い本で、おなじ“ひきこもり本”なら、昨日の下川さんの『日本を降りる若者たち』のほうが、断然フレッシュである。斎藤環さんの本ならと、少し期待して買ったのだが。プリンターで年賀状を打ち出しながら読んだ。書かれている内容は、大半が、経験的・実践的に体得していること。
 面白かったのは、「ひきこもり系」と「じぶん探し系」の分類(75頁)。同じテーブルの上で、明日(24日)のゼミに持って行くから(娘の大学では、授業日数確保のために、今日も授業がある。もしかして、仏教系大学だったっけ?とか)と突然クッキーを焼きだした娘と、わーこれ、ぴったり、HとMやん、とか。でも、分類してどうなるわけでもないしなあ。
 さらに、あーこれ!これ!と思ったのは、2003年読売新聞の「全国青少年アンケート調査」の結果。中学生以上の未成年5,000人を対象にした調査らしいが、「親の老後の面倒は見るべき」という回答が82%というのだ(53頁)。
 これぞ、まさに、この秋学期、私がひどく悩んだ問題なのだ。とある授業で、夕張の病院改革シリーズのビデオを学生たちと見た。在宅看護を勧めようと奮闘する医師たちの姿を描いたビデオだったのだが、私がぼそっと、「このふてぶてしい嫁さん、かわいそう」と言ったら、学生たちにかなり感情的に抗議されてしまったのである。そもそも、こちらは、自治財政再建シリーズで見せたつもりが、学生たちは、親孝行物語と読み替えて見ているのがショックだった。私たちの頃は、“親からの独立”が大学時代の最大のテーマだったはずなのだが。
 それで、斎藤さんの説によると、欧米における自立イメージが「家出型」であるのに対して、日本や韓国では、「親孝行型」なのだそうだ。儒教文化圏では、「成人後も家に留まり、両親の生活を支えながら生きていく『孝』の姿こそ、望ましい成熟のあり方なのだ」(204頁)。ところが、こうした同居文化での不適応が、「社会的ひきこもり」等の非社会的問題なのだという。ここからが、面白い。以下、引用。

 僕は欧米型の自立のあり方が素晴らしい、などと言いたいわけではまったくない。家出型自立は、もし失敗すれば自殺、あるいはヤングホームレス、あるいは薬物依存や犯罪などの反社会的行動に結びつく可能性が高い。
 いっぽう日本の若者は、・・・国際的にみても、きわめて反社会的傾向が低い集団だ。日本の若者の非社会性は、むしろ社会防衛のためのコストを抑制するという意味では、間接的に社会に貢献しているとすら言えるかもしれない。
 こうした若者の非社会性を強力にバックアップしているのが、彼らを扶養する日本の家族なのだ。見方を変えれば、不適応の若者の多くを家族が抱え込んでくれるおかげで、政府が若者対策にかける予算を低い水準に抑制できていることはまちがいない。(205頁)

 価値的なことを抜きにすれば、面白い分析だ。大人世代としては、親孝行をパラサイトの言い訳にされては、たまったものではないが。

【追記】明日から調査に出ます。次回更新は、12月30日頃の予定です。