日博協研究協議会(美術部門)(2)

takibata2008-02-24

 大阪は、昨晩から雪。今朝も、田んぼには一面の雪。気候がめまぐるしく変わる。
 山梨先生のお話の続きを。

 鎌倉近代美術館のコレクションは、1万点で、特に多いわけでもない。購入予算は僅かでもあるべきだ。開館当初、収蔵品はゼロだった。八幡宮の境内で倉庫(も)なく、展覧会中心に活動をして、5〜10年経っていく(が)、佐伯祐三展を3回やって、佐伯が知られるようになったのは、鎌近が先陣を切って(展覧会を)行ったからだ。佐伯祐三は1950年代に亡くなっているが、関係者や遺族が展覧会をきっかけに、ぜひ美術館で作品を持ってほしい(と)。
 展覧会中心の活動とともに、作品が集まってきて、1万点になった。15年くらい前までの収蔵品目録2冊で、55,000点くらいだから、この10年間で45,000点(近く)、加速度的に増えている。
 ああいう美術館なんだ、オレが集めたもの、描いたものを預かって欲しい(ということで)10,000点、日本近代の油絵、日本画、彫刻、版画。中国の版画。中国本土にも、これだけまとまった版画はない。コレクションを作っていく上で、図書・作家資料も大事にしていて、70,000点ある。作家の資料は蔵書も含めて、散らさずに持っている。作家の仕事を研究するときに蔵書は、関心のありどころを探るために資料として大事だ。山口蓬春文庫も(あるが)、文庫としてまとめておく。普通の図書館は、共通している本は抜いて捨ててしまうが。
 手紙等もまとめて保管しているが、整理が追いつかない。司書は常勤1名、非常勤司書3名で、整理できなくても(手紙類は)とにかく持つことにしている。またもらっちゃ困るんです、と言われるが。
 コレクションを美術館の活動でどう生かしていくか。保管していくことが大事だ。
 美術作品は、見られないといけない。文書資料も、まとめていく作業(が必要だ)。学芸員や研究者は見ないとだめ、見せるための保存、保存修復の学芸員がいるが、見せる必要に耐えるための修復をしてくれ(と言っている)。
 美術作品は、見られないと成立しない。コレクションをどうやって見せていくか。どうやって触れていくか。学芸員がモノに触れる。学芸員活動の根幹で、学芸で一番面白いのはそこだ。
 1万点のコレクションがあると、入ってきたばかりの学芸員は覚えきれない。何があって、どういう性格のコレクションか、コレクションを記憶していかないと始まらない。(私は学芸員には)、時間があったら収蔵庫に入れと言っている。(知らないと)常設展が組み立てられない。3つの建物で、常設は400点並ぶ。(常設展の)リスト化をしろ、と言うと、一番若い学芸員は四苦八苦している。コレクション展をどう組み立てるか、なかなか出来ない過程で、(コレクションを)記憶していく。コレクション展のたびに、自分のコレクションを知っていく。なぜ、ここにあるのか。歴史的な正体はどこにあるのか。歴史的な文脈、学芸員の調査研究。コレクションをよむ力。(コレクションは)美術館の基礎的な体力で、どうやって伝えていくか(が展覧会だ)。いわゆる論文を書くということにしても、私自身は、いわゆる論文を書くということに賛成しない。日本の美術史学の論文のありかた、日ごろ疑問に思っている。日ごろ、調査研究したことを社会に伝えていく(には)、論文を書くよりも、ラブレターを書く気持ちでないと伝わっていかない。書くこと自体が普及活動だ。
 コレクションは、展覧会を組み立てる作業の基礎になる。コレクションから、美術とは関係ないジャンルの、例えば音楽へと関心を開いていく。物質的な裏づけに、コレクションはなる。作品が核にあれば、関心の広がりの根拠になる。美術(作品)とそれに関する展覧会がうわついたものにならず、足が地についたものになる。こういうふうな関心を持っても、大きな方針と矛盾することはない。企画が出てくるということが、コレクションの可能性の大きなものだ。
 学芸員全員がそうか(というと)、最近、若い学芸員は、高学歴になって、美術史研究(をやって)、自分の専門が出来ていると錯覚している。(しかし)大学での専門は、現場では何の役にも立たない。モノとしてのコレクションに触れ、専門知識より、モノのほうがはるかに【以下、メモ解読できず】。個別個人的な専門意識を壊し、よりよいものにしていく。(これは)なかなか大学院卒に伝えていくのは難しい。
 美術館自体、日本の財政状況の悪さのあおりを受けて、企画展をする経済的な根拠がない。コレクションを活用しなさい、は当たり前の話で、(財政状況の悪化で)コレクションの活用が叫ばれているが、1万点あると50回、展覧会ができる。ただ、活用しなさい、では行き詰る。どれだけ掘り下げられるか。(これが)一番、時間がかかる。コレクション研究を深めていく。活用と保存のバランス(だが、うちは)貸し出し依頼があれば、傷んでいても修復して出す。早急に修復して、貸し出す。ここ2年、ずっと出ずっぱりとかになると、自分の美術館に保存したくなるが。もちろん、(貸し出す相手方の)場所の条件は大事だし、企画に疑問を持てば断る。美術館どうしなら、出していく。出していくのが、コレクションの活用だ。保存上、出せない場合は、なぜ困るか、きちんと言う。修復、出せる限り出す。
 (出さなければ)美術作品の意味が成立しない。(他館への貸し出しについては)日本画でも他館より緩い。大事なものとして活用されているのなら、やむを得ないだろう。(保存と活用の)バランスは、活用のほうに傾きすぎているかもしれないが。バーターでいいものが借りられる。

 
 山梨先生のご講演は、ここまでだ。このあと質疑応答があり、「図書7万点、うち、25,000点が展覧会図録で、カタログは、インターネットで検索できる。山口蓬春文庫には大事な本が入っている。マチスのジャズ(版画集)は、作品扱いにしている。それ以外は、図書室に来て、こういうものが見たいと言ってくれれば、見せないものはない。(まだ)PCには入っていないので、(ネットで検索できないから)見せにくいものはあるが、見せるのが原則だ」とのご発言もあった。
 山梨先生のお話を聞くにつれ、鎌近の土方定一さんって、どんな人だったのだろうか、と思う。

 写真は、横須賀美術館の会場前(2008年2月21日撮影)